六十四卦 意味・読み方
沢地萃|意味・卦辞爻辞解説(たくちすい)
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本ページは公開資料をもとに、卦辞、彖伝、象伝、占断、爻辞、占例を現代日本語で整理したものです。
引
集まる時。成否は人数より、中心と誠と規則があるかで決まります。
卦象と卦名
萃は上が兌沢、下が坤地です。沢が地の上にあり、水が低い所へ集まるように、人、財貨、知らせ、力がしだいに一つの場所へ寄ってきます。沢は水を蓄え、地は沢を受けます。だからこの卦には蓄え集める意味があります。また升と反対で、升が小を積んで高大を成すことを言うのに対し、萃は集まった後に、どのように衆を安んじるかを言います。
卦の中心的な意味
序卦伝は、姤は相遇であり、万物は遇った後に集まるので、姤の後に萃が来ると説きます。萃は、どこからともなく突然に湧いて出るものではありません。まず出会い、接触、交易、信頼があり、その上に組織、集団、事業、共同生活ができあがります。
卦辞は「萃は亨る。王有廟に假る。大人を見るに利あり、亨る。貞しきに利あり。大牲を用うれば吉、往く攸有るに利あり」と言います。衆を集めるのに、賑わいだけでは足りません。強制ではなお足りません。王が宗廟に至るのは、まず共通の敬畏と共通の根を立てるためです。大人を見るのは、徳と位を備え、衆を心服させられる人が取りまとめる必要があるからです。大牲を用いるのは、礼意が厚く誠実であるべきだからです。貞に利あり、往くに利ありは、正を守ってから動けという指示です。
向いている問い
萃を得たら、まず「なぜ皆がここに集まるのか」を問います。共同の目標、共同の信義、正当な利益のためなら事は成ります。貪利、勢いだけの騒ぎ、一時の寄り合いなら乱れやすいでしょう。
家庭、会社、共同体、財の集散を問う時も、先に中心を立て、次に規則を明らかにし、最後に人が多いことで起こる思わぬ事を防ぎます。
卦辞
人心を集めるには、共通の根と信じられる主が先に要ります。
原文
萃:亨。王假有廟、利見大人、亨。利貞。用大牲吉、利有攸往。
書き下し文
萃は亨る。王有廟に假る。大人を見るに利あり、亨る。貞しきに利あり。大牲を用うれば吉、往く攸有るに利あり。
現代語訳
萃は通じます。王が宗廟に至ります。大人を見るのに利があります。通じます。正しくするのに利があります。大きな犠牲を用いれば吉です。行く所があるのに利があります。
卦辞の読み解き
人を集めるには、中心を立て、徳ある人に会い、厚い誠意をもって正しく進む。卦辞はその順序を言っています。「王假有廟」の假は、至る、来るという意味です。王が宗廟へ来るのは、ただ儀式を行うためではありません。一国一家の心を、先祖、礼法、共通の記憶の前に収めるためです。人が多くなれば意見は雑になり、皆が認める中心がなければ、集まってもやがて散り、ひどければ乱れます。
萃と渙は、表では反対に見えます。一つは集め、一つは散らす。しかし二つは互いに意味を明らかにします。渙にも王假有廟があり、散る時には精神を発揚して、離れた人に根があることを感じさせます。萃の王假有廟は、すでに集まったまごころを一つの中心へ注ぎます。一方は散から通へ、一方は聚から定へ向かいますが、目的はどちらも同じです。人心を真実にして、浮つかせないところにあります。
「大人を見るに利あり」は九五を指します。衆を集める時に最も恐ろしいのは、束ねる人がいないこと、あるいは束ねる人に権位だけあって徳望がないことです。大人は衆を御し、乱を治め、人を心服させます。だから会って帰服するのに利があります。「大牲を用うれば吉」は、礼が重く、誠意が十分であるべきだという意味です。古代では牛羊を祭りに供えました。現代なら、大きな集まり、大きな約束、大きな協業を、軽率に、形だけで、手ぶらで行ってはいけないと読みます。
実際の読み方
協業を問うなら、まず皆が認める取りまとめ役がいるかどうか。会社なら、制度と価値が人を心服させるかを見ます。家庭なら、祖徳、家規、年長者、中心人物が衆を安んじられるかを見ます。
財を問うなら、財が集まるのはよいことですが、帳簿、分配、信義が要ります。萃の吉は、人が多ければ吉というものではありません。正しく、誠実に、主を得て集まる時の吉です。
彖曰
人は囲うより、中正の主に悦んで帰る時、本当に集まります。
原文
萃、聚也、順以説、剛中而応、故聚也。王假有廟、致孝享也。利見大人亨、聚以正也。用大牲吉、利有攸往、順天命也。観其所聚、而天地万物之情可見矣。
書き下し文
萃は聚まるなり。順にして以て説び、剛中にして応ず、故に聚まるなり。王有廟に假るとは、孝享を致すなり。大人を見るに利あり亨るとは、聚まるに正を以てすればなり。大牲を用うれば吉、往く攸有るに利ありとは、天命に順えばなり。其の聚まる所を観れば、天地万物の情見るべし。
現代語訳
萃とは、集まることです。順って悦び、剛が中にあって応じるので集まります。王が宗廟に至るのは、孝を尽くして祭享するためです。大人に会うのがよく、亨るのは、正しい道によって集まるからです。大いなる牲を用いれば吉で、進むところがあるのによいのは、天命に順うからです。その集まるところを観れば、天地万物の情を見ることができます。
彖伝の読み解き
下が順い、上が悦ばせ、中正の主と応じ合う。そこで人は集まります。下卦の坤は順、上卦の兌は悦。下は順い、上は人を悦ばせる。さらに九五は剛健で中に居り、六二がこれに応じます。上に中正な軸がなければ、下の順はただの盲従になります。下が心服していなければ、上の剛はただの圧迫になります。萃が成るには、順、悦、剛、中がそろう必要があります。
「聚まるに正を以てす」が大切です。人が集まること自体は、まだ吉ではありません。盗賊も集まる。流言も集まる。怨みも集まります。正道に集まる時だけ、そこは通じます。卦辞が先に宗廟を言い、次に大人を言い、次に大牲を言うのは、衆の集まりを賑わいから正道へ戻す段取りです。敬畏があり、主宰する人があり、誠ある礼があり、行える事がある。
この卦は人事にも国家にも及びます。内に向かえば精神を集めること、外に向かえば財力を集めること。順でなければ散り、悦でなければ離れ、剛がなければ衆を畏れさせるものがなく、中がなければ衆は本当に服しません。国家が民を集めるとは、民を力で囲い込む話ではありません。民が悦んで帰服し、自然に集まるようにする話です。一家が族を集めるのも、血縁だけでは足りず、孝、礼、和楽、公正によります。
実際の読み方
萃を読む時は、集まったという結果だけを見ません。何によって集まり、どのように集まったかを見ます。
徳で集まれば、集まるほど穏やかです。利で集まれば、利が尽きた時に散ります。威圧で集まれば、いつか反発が来ます。私情で集まれば、党を生みやすい。人が来たいと思い、来た後に秩序があり、その秩序の中にも悦びがある。それが萃のよい使い方です。
象曰
集まるほど不測も集まるので、先に備えを整えておきます。
原文
沢上于地、萃、君子以除戎器、戒不虞。
書き下し文
沢、地に上るは萃なり。君子以て戎器を除め、不虞を戒む。
現代語訳
沢が地の上にあるのが萃です。君子はこれを見て戎器を整え、不意の事を戒めます。
象伝の読み解き
人や財が集まる時は、危険もまた集まります。だから備えを修めます。兌には金の象、坤には器の象があるので、戎器の象になります。「除」は廃することではありません。修め、整え、備えるという意味です。人と資源が多く集まれば、危うさも同じだけ増えます。だから君子は安きにいて危うきを忘れません。
この戎器は、兵器だけに限りません。現代なら、安全計画、制度の手順、緊急資金、防火設備、契約条項、情報発信の仕組み、権限管理などが当たります。集会、会社、家族、共同体、国家、どれも人が多く財が多いほど、一時の衝突、突発事故、秩序の崩れを防ぐ必要があります。
沢が地の上にあり、水が満ち過ぎれば溢れます。時にはあふれて走ります。萃も同じです。喜ばしい集まりが口論を生むことがあり、財の集まりが争奪を生むことがあり、権力の集まりが疑心を生むことがあり、群衆の集まりが事故を生むことがあります。防げる人こそ、本当に集めることのできる人です。
実際の読み方
企てを問うなら、人を招き金を集めるだけでなく、規則を書き、危険を洗い出します。家庭の集まりなら、親しみだけでなく境界と分配を明らかにします。
会社の拡張なら、人事、財務、法務、安全がついて来なければなりません。萃の成熟は、場面の大きさで測れません。大きな場面でも秩序と備えがあるかどうかで測ります。
占断
人も財も集まる時。聚散の循環と人の多さによる変を防ぎます。
総合的な占意
これらの占断はすべて同じ道理をめぐります。集まりはよい象ですが、憂いがないわけではありません。財が集まれば損を防ぎ、人が集まれば乱を防ぎ、兵が集まれば凶を防ぎ、水が集まれば溢れを防ぎ、情が集まれば怨みを防ぎます。集まる時に先に散ることを思い、安らかな時に先に危うさを思えば、萃はよく使えます。
項目別の占断
- 時運と人の集まり:人も財も集まりやすい時ですが、安定している時ほど主宰者、規則、分配を明らかにします。
- 戦いと競争:兵が集まっても危事であることを忘れず、十分に謀ってから動きます。
- 経営と功名:財には集散と満欠があるため備えを残します。功名は戎器を整え、任務を果たすことから得やすい象です。
- 婚姻と家宅:外からの衝突を防ぎます。家では湿気、積水、配管、近隣との揉め事に注意します。
- 病と行人:胸腹の水脹や積滞は早く調えます。行人は途中で阻まれ、すぐには帰りにくいことがあります。
六爻の要点
- 初六:集まり始めに信が揺れ、集散しても、正しい号令に従えば安定します。
- 六二:真実の誠意で人を正しい中心へ引けば、礼が薄くても通じます。
- 六三:人がいても力が合わないため、本当の中心へ向かえば大過を免れます。
- 九四:多くを集めた功ほど、人心と力を正道へ帰し、自分のものにしません。
- 九五:地位だけで信を得られない時は、長く正を守り、徳で信用を養います。
- 上六:集まりの外で孤立しても、憂いと悔いを誠実に示せば再び合う余地があります。
実際の読み方
何を問う場合でも、人が来た、金が来た、機会がそろったと思った時に、すぐ気を緩めてはいけません。
誰が取りまとめるか。規則は何か。危険はどこか。利益はどう分けるか。事故が起きたらどうするか。これが明らかになって初めて、萃はただの賑わいから使える力に変わります。
初爻
信が浅くて乱れても、正しい号令に従えば憂えず進めます。
原文
初六:有孚不終、乃乱乃萃、若号一握為笑、勿恤、往無咎。
書き下し文
初六、孚有れども終わらず、乃ち乱れ乃ち萃まる。若し号べば、一握して笑いと為らん。恤うること勿かれ、往けば咎なし。
現代語訳
真心はありますが、最後まで続きません。そこで乱れ、そこで集まります。もし呼びかければ、ひとたび手を握り合って笑いに転じます。憂えることはありません。往けば咎はありません。
爻辞の読み解き
信が浅く、集まりが乱れる。それでも正しい号令に従えば和らぎ、進んで咎はありません。初は萃の始めです。互いに信はありますが、まだ浅く、最後まで続きません。一念はこちらに集まり、一念はまた別へ集まる。志が先に乱れるので、集まることがかえって乱れになります。
「若し号べば」は、正しい号令に従うことを言います。初は九四と応じています。初爻自身は柔弱で下にあり、衆はあっても束ねる力が足りません。散乱を収める号令を発せるのは九四です。「一握為笑」は、手を取り合い、誠意を出し合い、怨みが笑いへ変わる姿と読めます。正しい号令に従って進めば、大きな過失はありません。
実際の読み方
時運は、初めに順逆があり、反復して定まりません。人の助けを得れば大過は免れます。経営は始めはあっても終わりがなく、集散が不安定なので大きな利は求めにくい時です。
組織や集まりでは、人心が乱れ動くことを最も防ぎ、明らかな号令が必要です。病は心神が乱れ、急に泣いたり笑ったりする象があり、医を求め心を安んじます。家宅は仮住まいにはよいのですが、長居には向きません。
高島の占例
明治十五年十月、大水が上野から高崎鉄道の戸田川口仮橋を壊しました。鉄道局長の井上が高島に修橋の策を占わせ、萃が随に変じる初六を得ます。「沢上於地」を洪水の象と読み、初爻の有孚不終を、仮橋が作っては倒れ、また作っては倒れることに応じるとしました。さらに四、五爻の位置から、橋の向きを改め、平地に土を盛って基礎を作り、鉄索を設け、水が来れば高さに随い、水が落ちれば平らに随うようにすべきだと勧めます。後にこの策で造り、翌年に大水が再び来ても橋に患いはありませんでした。
二爻
正しい中心へ人を引くなら、供えは薄くても誠で通ります。
原文
六二:引吉、無咎、孚乃利用禴。
書き下し文
六二、引かれて吉、咎なし。孚あれば乃ち禴を用うるに利あり。
現代語訳
引かれて吉です。咎はありません。真心があれば、薄い禴祭を用いても利があります。
爻辞の読み解き
正しい中心へ引かれ、そこに誠があるなら、簡素な礼でも通じて吉です。六二は下卦の中におり、上で九五に応じます。萃の本当の中心が五にあることを知っています。初は乱れ、三は嘆きますが、それは集まるべき所を失っているからです。二は初と三を五へ引くことができるので、吉で咎がありません。
引とは、縄で引くことでもあり、人が間に立って取り持ち、紹介し、道を示すことでもあります。禴は夏の祭りで、供え物は薄いものです。しかしこの爻で重いのは孚です。誠があれば、飾り立てなくてもよい。誠がなければ、どれほど大きな場面を作っても空です。萃は外見の賑やかさで成るものではありません。真実の信によって人を正しい所へ引くとき、初めて成ります。
実際の読み方
功名を問えば、人に引き立てられます。経営では、資金を集め、人と組み、客を引くことに向きますが、根はあくまで信です。婚姻は二五が応じ、婚約を結ぶような象があります。
戦いでは、古人が出師の前に祭ったように、まず全軍が心を一つにし、誓いを立てます。病では、元気を引き導き、気の流れを整える方法がよい時です。
高島の占例
ある友人が気運を問うて、萃が困に変じる六二を得ました。高島は、その人の企ては誰かの引薦があって初めて伸びると読みます。導く人は五の位にある人です。ただし間に三、四の爻が隔たり、人事の障りがあるように見える。そこで礼を備え、祈り、誠をもって助けを求めれば、隔たりは妨げにならず、自然に吉となると断じました。
三爻
中心を得ない集まりは嘆きに変わる。本当の主へ帰れば咎なし。
原文
六三:萃如、嗟如、無攸利、往無咎、小吝。
書き下し文
六三、萃如たり、嗟如たり、利ろしき攸なし。往けば咎なし、小しく吝なり。
現代語訳
集まるようです。嘆くようです。利のある所はありません。往けば咎はありません。小さくは吝です。
爻辞の読み解き
集まっても中心を得なければ、集まりはそのまま嘆きに変わる。正しい所へ往けば咎はなく、ただ少しの恥が残ります。三は坤体の上にあり、坤は衆です。人が集まる象があります。しかし三は陰で陽位におり、中でも正でもなく、衆を統べる才がありません。人が集まれば本来は利を得るはずですが、集まっても利がないので、衆は自然に嘆きます。
この爻は、永遠に道がないと言っているわけではありません。自分が中心になろうとしないことです。全卦では九五が萃の宗主であり、卦辞にいう「大人を見るに利あり」の大人です。六三が九五へ往き帰り、衆を本当に束ねられる人へ導くなら、大きな過失はありません。小吝は、自分が衆を集めようとして服させられなかった、その見苦しさを言います。
実際の読み方
時運は今は平凡で、実利を得にくい時です。経営では、貨物は多くても売れず、別の場所へ移して初めて道が開けます。戦いでは、兵はあるが用いられず、主将に才がないため不満の声が起こります。
家宅は同居が和せず、口舌が多い時です。別の所へ移れば少し緩みます。訴訟には不利です。
高島の占例
ある友人が気運を問うて、萃が咸に変じる六三を得ました。高島は、相談者は副局長の任にありながら人心を得ていないと見ます。まさに萃如たり嗟如たり、利ろしき攸なしです。最もよい手は、無理に支え続けるところにはありません。衆を局長に帰服させ、局長を真の中心にすることです。そうすれば衆人は利を得、相談者も大過を免れるとしました。
四爻
人望を集めた時ほど、その功を正主へ帰せば大吉になります。
原文
九四:大吉、無咎。
書き下し文
九四、大いに吉にして、咎なし。
現代語訳
大吉です。咎はありません。
爻辞の読み解き
大きく人を集めることが正しく行われれば、吉であって咎はない。爻辞はたいへん吉に見えます。しかし象伝はすぐ「位当たらざるなり」と戒めます。九四は内外卦の境にあり、九五の君に近く、下では初六に応じ、六三とも近い。門を開いて衆を招き、賢を礼することができるので、勢いは一時とても盛んになります。
問題は、九四が臣位であって君位ではないところです。臣でありながら衆を得た時、集めた人心、資源、功労を上位へ帰せるなら、文王が天下の三分の二を有してなお殷に事えたように、大吉で咎はありません。衆望を自分のものとして抱え込めば、功高くして主を震わせ、最も危うくなります。
実際の読み方
時運は勢いがとても盛んですが、身分、位置、権限は分けて明らかにします。功名は大きく成りますが、徳が位に合うかが気がかりです。経営では財と利を得ますが、退く余地を残し、他人の権を自分の権と思い込まないようにします。
戦いでは勝利を望めますが、功高くして忌まれることを防ぎます。婚姻は互いに応じるものの、家柄や立場がやや釣り合わないことがあります。
高島の占例
ある家の支配人が気運を問うて、萃が比に変じる九四を得ました。高島は、爻辞は大吉と言うけれども、爻象は位不当を戒めていると読みます。相談者は主家の事務を取りしきり、主家の権利、金銭、人事を扱っています。そのため、権利に近づきたい人は多く彼に帰り、主人へ直接帰りません。名声は大きく、運も盛んで大吉と言えます。しかしその権利は本来主家のもので、自分のものと思ってはいけない。常に警戒すべきだと断じました。
五爻
位で集まっても信が薄いなら、長く正を守って悔いを消します。
原文
九五:萃有位、無咎。匪孚、元永貞、悔亡。
書き下し文
九五、萃まるに位有り、咎なし。孚に匪ざるも、元永貞なれば、悔亡ぶ。
現代語訳
位があって集まります。咎はありません。真心によるものではありません。大いに永く正しければ、悔いはなくなります。
爻辞の読み解き
地位によって人は集まります。しかし心からの信が足りないなら、長く正しさを保って悔いを消すほかありません。九五は尊位にあり、全卦の聚衆の主です。だから「萃まるに位有り」と言います。位があれば衆を御することができ、大きな過失はありません。ただし衆を集めるのに、座席、肩書、権力だけでは足りません。
「孚に匪ず」は深い戒めです。衆があなたの所へ来たとしても、必ずしも心から服しているとは限りません。権位に押されて表面だけ集まり、心では信じていないこともあります。本当の萃は、徳で人を集め、信で人を服させるところにあります。もし一時まだ信を得られないなら、元永貞、根本から心を発し、長く正を守り、急いで喝采を求めない。久しければ悔いは自然に消えます。
実際の読み方
事業では、地位、資源、人手はありますが、信用を補う必要があります。経営では財は集まっていても、信頼はまだ追いついていません。正を守って初めて長続きします。功名は位高く望みも重いほど、徳を修めます。
戦いでは三軍がすでに集まり、大業を成せますが、誠を推してともにします。家宅は山水が集まり、族が集まって住む象で吉です。訴訟では、相手の勢いも立場も大きいので、こちらに理と信があるかを見ます。
高島の占例
ある友人が気運を問うて、萃が豫に変じる九五を得ました。高島は、五爻は萃の主で、位もあり衆もあるので、運勢に大きな過失はないと読みます。相談者は低い人ではありません。位と財があり、あるいは一郷の望みであり、あるいは一家の主です。ただ今は信義がまだ衆に十分信じられていない。道を履み正を守り、久しく失わなければ、万事通達すると断じました。
上爻
孤立の嘆きを取り繕わずに示せば、人心はまだ動きます。
原文
上六:齎咨涕洟、無咎。
書き下し文
上六、齎咨し涕洟す、咎なし。
現代語訳
嘆息し、涙と鼻水を流します。咎はありません。
爻辞の読み解き
孤立の苦しみを、取り繕わずに嘆き泣く。その真実が人心を動かすなら、咎はありません。齎咨は嘆息、涕は涙、洟は鼻水です。合わせれば、悲しみ泣いて止まらない姿になります。上六は萃の最上、最外にあり、陰柔で中を得ず、六三とも敵応します。本当に互いに集まることができないので、孤立して不安です。
この爻の取るべき所は、真実です。取り繕った体面ではありません。自分の孤危を本当に知っているからこそ、憂いは深く、悲しみの声は外へ現れます。人の情とは時にそういうものです。傲慢な孤立は怨みを招きますが、真実の悲苦は人に憐れみを起こさせ、人を集めることがあります。だからなお大きな過失はありません。
もう一つ別解もあります。咨を資財と見、萃を所有と見るなら、上六は財が集まっているのに民は散っている象です。財だけあって人心がなければ、厚い資を抱えていてもかえって自ら危うい。このような局面こそ、まさに痛哭流涕すべきものです。
実際の読み方
時運は衰え、孤苦の所まで来ています。ただし真実に助けを求めれば、人が憐れんで助けることもあります。経営は孤客で伴がなく、道が尽き日も暮れるようですが、救いを得る余地は残ります。
功名は時が衰え運が極まって、名を成す望みは薄い時です。戦いでは全軍が離反し、主将が孤立する象があります。婚姻には生別死別の悲しみがあります。病は悲泣と憂傷が過ぎることから来やすいので、心を広くして養います。
高島の占例
明治二十一年六月、高島が愛知の熱田にいた時、地方は大旱で、郷民数百人が神社で雨乞いをしていました。そこで占って、萃が否に変じる上六を得ます。上爻の齎咨を天が怒って雷鳴すること、涕洟を滂沱の大雨と読み、初から上まで六日として、六日後に験があると推しました。その日の午後、果たして雷電風雨が一斉に起こり、溝渠は満ち、平地も水となります。後に熱田神社はこの霊験によって重んじられ、祠幣を受けました。
沢地萃:読みの覚え
沢地萃は、人や財や心が集まる卦です。集まりの成否は人数ではなく、中心と誠と備えで決まります。
集める側に中心が要る
沢が地の上にあり、水が集まって沢になるように、人も目標や利益や情や儀式によって寄ってきます。萃がいちばん恐れるのは、賑わいだけがあって中心のない場面、人だけが来て規則のない場面です。 人が増えるほど、誰が主宰するのか、何で心をまとめるのかが問われます。
人が来たのは第一歩
この集まりが自然に心を寄せたものか、利で一時的に寄せ集めたものかを、まず分けます。次に、衆の中に本当に信じられる中心がいるかを見ます。 そこまで答えが出れば、あとは落ち着かせる作業です。名簿、席次、進行、費用、警備、発言権。会議でも、共同体でも、資金調達でも、婚礼でも、組織の拡大でも、家族の集まりでも、見る所は変わりません。共通の目的、儀式、規則、分担、事故への備えがそろって、集まりは散らずに済みます。盛んに集まるほど、内輪の消耗と突発への用心も要ります。
親しむ卦、近づく卦と並べて
水地比と並べると、比は互いに親しんで帰服する働き、萃は多くの人が一つの場へ集まる働きです。片方は親疎を、もう片方は場と組織を見ます。地沢臨と並べれば、臨は上から下へ近づく働き、萃は衆が中心へ集まる働きで、近づくことと会することの差がはっきりします。
沢地萃:読みの覚え札記を開く
沢地萃は、人や財や心が集まる卦です。集まりの成否は人数ではなく、中心と誠と備えで決まります。
集める側に中心が要る
沢が地の上にあり、水が集まって沢になるように、人も目標や利益や情や儀式によって寄ってきます。萃がいちばん恐れるのは、賑わいだけがあって中心のない場面、人だけが来て規則のない場面です。 人が増えるほど、誰が主宰するのか、何で心をまとめるのかが問われます。
人が来たのは第一歩
この集まりが自然に心を寄せたものか、利で一時的に寄せ集めたものかを、まず分けます。次に、衆の中に本当に信じられる中心がいるかを見ます。 そこまで答えが出れば、あとは落ち着かせる作業です。名簿、席次、進行、費用、警備、発言権。会議でも、共同体でも、資金調達でも、婚礼でも、組織の拡大でも、家族の集まりでも、見る所は変わりません。共通の目的、儀式、規則、分担、事故への備えがそろって、集まりは散らずに済みます。盛んに集まるほど、内輪の消耗と突発への用心も要ります。
親しむ卦、近づく卦と並べて
水地比と並べると、比は互いに親しんで帰服する働き、萃は多くの人が一つの場へ集まる働きです。片方は親疎を、もう片方は場と組織を見ます。地沢臨と並べれば、臨は上から下へ近づく働き、萃は衆が中心へ集まる働きで、近づくことと会することの差がはっきりします。
この卦を読む前に
本卦、動爻、問いを照らす
卦は一ページだけで読み切るより、問いの置き方、動いた爻、六十四卦全体の流れと合わせて見ると見え方が落ち着きます。
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本卦の問い
人が大勢集まっていれば、それで萃の吉といえますか。
集まりの象ではありますが、人数だけでは測れません。萃が見るのは中心と規則と主宰する力です。人が多くて中心がなければ、かえって乱れます。
萃と比は、どこが違うのですか。
比は人の心が親しみ、進んで帰服する段です。萃はすでに衆が一つの場へ集まった段になります。片方は親疎を見て、もう片方は組織を見ます。
人が大勢集まっていれば、それで萃の吉といえますか。開く
集まりの象ではありますが、人数だけでは測れません。萃が見るのは中心と規則と主宰する力です。人が多くて中心がなければ、かえって乱れます。
萃と比は、どこが違うのですか。開く
比は人の心が親しみ、進んで帰服する段です。萃はすでに衆が一つの場へ集まった段になります。片方は親疎を見て、もう片方は組織を見ます。
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