六十四卦 意味・読み方
水山蹇|意味・卦辞爻辞解説(すいざんけん)
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本ページは公開資料をもとに、卦辞、彖伝、象伝、占断、爻辞、占例を現代日本語で整理したものです。
引
前に険しい水、足もとは山に止められた卦です。難と知ったら止まり、向きを変えます。
卦象と卦名
蹇は上が坎水、下が艮山です。山の上に水があり、水は山に阻まれて流れにくくなります。道を行く人の前には険しい水があり、足もとは山に止められています。だから進むことが難しいのです。蹇は小さな障害ではありません。前が危険で、下も動きにくいという難局です。
卦の中心的な意味
蹇は睽の後に来ます。序卦伝は、睽は乖くことであり、乖けば必ず難が生じるので蹇が来ると言います。睽はまだ意見の違い、方向の違いにとどまります。蹇になると、道が塞がり、仕事が止まり、進退がどちらも難しくなります。
睽と蹇は並べて見ると分かりやすくなります。火が上にあり沢が下にあれば、作用が背くので睽です。水が上にあり山が下にあれば、水は流れたいのに山が止めるので蹇です。睽は心や志が合わないこと、蹇は行動そのものの停滞です。ここまで来たら説得だけでは足りません。道そのものを見直す必要があります。
向いている問い
蹇を得たら、まず難があることを認めます。強く押せば開けるとは限りません。先に止まり、方角を見、道を替え、判断できる人や責任を担える人に会います。
仕事では計画の根本を見直します。関係では最も険しい所でぶつからず、入り口を変えます。病気、法律、財務、移動の相談では、専門家を早く入れます。蹇で最も危ういのは、体面や勢いのまま険へ進むことです。
卦辞
険しい道を避け、平らな道と頼れる大人を選びます。そうすれば吉に向かいます。
原文
蹇:利西南、不利東北、利見大人、貞吉。
書き下し文
蹇は、西南に利あり、東北に利あらず。大人を見るに利あり、貞にして吉なり。
現代語訳
蹇は、西南が利で、東北は利ではありません。大人に会うのが利です。正しければ吉です。
卦辞の読み解き
難の時は険しい方へ入らず、平らで助けのある方へ向かい、判断できる人に会う。それが吉です。西南は坤の方で、平らか、順、衆、人が集まる所の象があります。東北は艮山の方で、さらに険しく阻まれる所です。すでに山水の難にいるのに、東北へ進めば難に難を重ねます。西南へ向かえば、順に出口を探せます。
この西南は、地理だけを指すのではありません。より平易で、人の助けがあり、現実の条件に合う道のことです。東北は、狭く、孤立し、固執したままさらに難へ入る方向です。蹇の時に問われるのは、歩けるかどうかより、どこへ歩くかです。
利見大人も大切です。大人とは、ただ身分の高い人を言うのではありません。徳があり、位があり、経験があり、判断ができ、険のありかを見せてくれる人です。蹇難は、一人で閉じこもって耐えるだけでは解けないことが多いものです。教えを請うべき時、援けを求めるべき時、力を借りるべき時には、大人を見ます。
実際の読み方
事業では、実行しやすい方案へ替え、よく知る人に相談します。関係では、最も鋭い衝突点から離れ、双方が入れる口を探します。病、法律、財務、危険な移動では、専門家に早くつなぎます。
方角を問う時も、険しい道、孤立する道、意地で進む道を避け、平実で人の助けがある道を選びます。
彖曰
危険を見て止まれるのが知恵です。止まれるからこそ、正しい出口を選べます。
原文
蹇、難也、険在前也。見険而能止、知矣哉!蹇利西南、往得中也、不利東北、其道窮也。利見大人、往有功也。当位貞吉、以正邦也。蹇之時用大矣哉!
書き下し文
蹇は難なり、険前に在るなり。険を見て能く止まるは、知なるかな。蹇の西南に利ありとは、往きて中を得ればなり。東北に利あらずとは、其の道窮まればなり。大人を見るに利ありとは、往きて功有ればなり。位に当たりて貞なれば吉なりとは、以て邦を正せばなり。蹇の時用大なるかな。
現代語訳
蹇とは困難のことで、険が前にあります。険を見て止まることができるのは、まことに知恵です。蹇で西南に利があるのは、往けば中道を得るからです。東北に利がないのは、その道が行き詰まるからです。大人に会うのに利があるのは、往けば功があるからです。正しい位置にいて正しさを守れば吉であり、それによって国を正すことができます。蹇という時の働きは、まことに大きいものです。
彖伝の読み解き
危険が前にあると知って足を止められる。それが蹇の知恵です。坎の険が前にあり、艮の止が下にあります。前に危険があると見えた時、一時の勇気、勢い、体面に押されて突っ込まず、足を収めます。これが知です。
ただし止まるとは、永遠に動かないことではありません。蹇の爻辞にはしばしば「往けば蹇む」とあります。ここから、蹇の用法は単なる停止ではないと読めます。まず誤った方向を止め、その後に険を済う方向を選ぶ。どこが不利かを知るから、どこへ往くべきかも分かります。止まれるからこそ、後の功があります。
彖伝はさらに、西南に利があるのは往けば中を得るから、東北に利がないのは道が窮まるから、大人を見るに利があるのは往けば功があるからだと言います。正しい位置にいて貞を守れば、身を正すだけでなく、国を正すことにもつながります。
国家に当てる時に主となるのは九五です。九五は尊位にあり、大蹇を担う人です。大難は一人では解けないと知り、朋友、群臣、人材を集めて助けを得ます。下位の人も傍観してよいわけではありません。二爻の王臣蹇蹇は、国家の難を自分の事として担う姿です。
実際の読み方
蹇の時は四つを問います。自分はさらに険しい方向へ進んでいないか。より平易な道はないか。会うべき人に会っているか。自分は正しい位置と徳を保っているか。
ただ道が難しいと嘆くだけで、身を修めず、方向を替えず、援けを求めないなら、まだ蹇を読めていません。
象曰
道が塞がった時ほど外を恨みません。自分の徳と備えを整えるのが突破口です。
原文
山上有水、蹇、君子以反身修徳。
書き下し文
山上に水有るは蹇なり。君子以て身に反りて徳を修む。
現代語訳
山の上に水があるのが蹇です。君子はこれを見て、自分に返って徳を修めます。
象伝の読み解き
道が通らない時は、外を責める前に自分を省みて徳を整えます。山の上に水があれば、水は蓄えられて流れず、道も通りにくくなります。君子はこの局面を見て、外の環境をただ恨むことはしません。自分の徳は足りているか、判断は正しいか、準備はあるか、方向を誤っていないかを省みます。
蹇の向かい側には解があります。解の象は雷雨作です。雷雨が上から下へ起これば、山の上の水も流れ出し、蹇は解けます。蹇は永遠に解けない卦ではありません。条件が熟すのを待つ卦です。同時に、その時を受けるだけの徳が自分にあるかも問われます。
坎には悔い、艮には慎みと徳義があります。孟子の「行いて得ざれば、反って諸を身に求む」という言葉のように、事が通らない時は、すべてを外のせいにせず、方法、心術、能力、位置を点検します。修徳は空言ではありません。危難の中で信じられ、耐えられ、判断でき、担える自分になることです。
実際の読み方
仕事が止まった時は、準備、資料、約束、能力を見直します。関係が詰まった時は、自分の言い方、態度、果たすべきことが足りているかどうかを見ます。危機対応での反身は自責ではありません。補える所を先に補う作業です。
内が安定してこそ、外の険に転機が生まれます。
占断
退き、向きを替え、大人に会い、身を修めます。力ずくで突くより先にすることです。
総合的な占意
蹇を得た時は、難の中で道を探します。目の前には実際の阻みがあり、力任せに突ける局面ではありません。いったん退く、方向を替える、経験と立場のある人に助けを求める、自分の不足を補う。この順で出口を見ます。
項目別の占断
- 時運:運が艱難に当たるため、自らを省みて励み、有利な方向を選んで険を出ます。
- 戦いと功名:進退両難なら人々と力を合わせて有利な所へ進みます。功名は長く自修し、大人の助けを待ちます。
- 経営:資金、商品、顧客が蓄えられたまま流れず、流通を開くことが第一です。
- 家宅と婚姻:山水による家屋の損傷を防いで住環境を整えます。位置の合わない婚姻は、無理に成せば悔いが生じます。
- 病・失せ物・訴訟:足の不調と移動困難に注意し、失せ物は身近を探し、訴訟は自ら止めます。
- 行人と妊産:行人は途中で水に阻まれても身軽なら帰れます。妊産は、古い断で男児に当たります。
六爻の要点
- 初六:困難が現れた初めは退いて待ち、力を保つ方が利です。
- 六二:公の責任のため幾重もの難に入る時は、個人の得失で論じません。
- 九三:進んでも利がなければ戻り、まず内部と身近な人を安定させます。
- 六四:一人では脱し難いので、仲間と結び、資源を集めます。
- 九五:大きな難の中では、友人と人材が共に来援する必要があります。
- 上六:難の終わりで再び険へ入らず、戻って大人に会えば吉です。
実際の読み方
蹇を得たら、まず流れていないものを見ます。金、話、人、気血、道、手続き。通せるなら通し、通せないなら道を替えます。
詰まった一点へ同じ力を何度もかけるのが、いちばん危険です。止まることは負けではありません。次の道を選ぶための知です。
初爻
難の始めに前へ急ぎません。戻って待つ方が、かえって誉れになります。
原文
初六:往蹇、来誉。
書き下し文
初六、往けば蹇み、来れば誉れあり。
現代語訳
進んで行けば難み、戻って来れば誉れがあります。
爻辞の読み解き
前へ進めば難に入り、引き返せばかえって評価されます。初爻は艮山の最下にあり、蹇難の始まりです。前へ行けば険へ向かい、戻れば誉れがあります。退き縮こまることを褒めているのではありません。時機が明らかでなく、険の勢いもまだ定まらない時に、軽々しく進まない。それを明智と呼びます。
象伝は「待つに宜しきなり」と言います。身軽に試して一時の誉れを冒険で取りに行くより、機を審らかにし、変化を観て、時を待つ方がまさります。初六は危険を目にしていますが、まだ深くは陥っていません。だから回りようもあります。ここですべきなのは、衝くことではありません。待ち、見て、備えることです。
実際の読み方
時運はまだ来ていないので、慎んで待ちます。戦いでは前に険があるので、いったん退いて守ります。経営では、売りに行く先に危険があるので、貨物を急いで運ばず、値を待ちます。功名は、冒険で賞誉を得ることがあっても、軽々には進めません。
家宅は地勢が険しく、移転は慎みます。病は初めのうちなら慌てて医を求めすぎず、退いて調養します。婚姻も急いで成そうとせず、待つのが吉です。
高島の占例
ある事で進退を決めかねた友人が問うと、蹇が既済に変じる初六が出ました。卦名からしてすでに難であり、初爻は初めて難に遇う時だと高島は読みます。爻辞は往けば難、来れば誉れと言い、象伝も待つべしと言います。問いそのものが進退未定でしたから、この爻は難に臨む進退の時機をそのまま示していると断じました。
二爻
公の責を負う人は、自分のためでなくとも重なる難へ入ることがあります。
原文
六二:王臣蹇蹇、匪躬之故。
書き下し文
六二、王臣蹇蹇たり、躬の故に匪ず。
現代語訳
王の臣は難に重ねて難みます。それは自分の身のためではありません。
爻辞の読み解き
公の責任を担う者が、私事ではなく君事のために苦しむ爻です。王は九五、臣は六二です。二は下卦の中にいて、上で九五に応じ、互体には重なる坎があります。難の上にまた難が重なります。しかも私事のために走り回るのではありません。王事、公事、責任の事を自分の事として担います。
この爻は初六とは違います。初六は待つのがよい位でした。しかし六二は、保身だけを第一にできません。九五に応じ、臣道を身に帯びているからです。蹇蹇とは、一重の難にとどまらず、もう一重の難に入ることを言います。それでも自分のためではないので、苦労はあっても責めを負う筋合いはありません。
実際の読み方
時運は労苦と困惑が多く、難が重なります。戦いでは、軍が険地へ入り重囲に遭うことを防ぎます。経営では、内地へ貨物を運ぶ途中で水に阻まれ、人と財をともに失う恐れがあります。
功名は、公のために名を求めるなら成ることもありますが、身は苦労します。家宅は東北や山中の象で、険が重なります。婚姻は貴い縁であっても、後に夫家の難を負うことがあります。訴訟も行人も失せ物も、おおむね難しいものです。
高島の占例
明治十三年、高島が東京のある紳士を訪ねると、主人は子の商売が巨債を負い、日夜奔走して処置していることを憂えていました。占うと蹇が井に変じる六二が出ます。二爻は下卦の主であり、自ら難を引き受ける象だと読みました。債務は商業から起こったもので、本人一人の私欲によるものではありません。前後の爻を見れば、三は反ることができ、四は連なることができ、五は債友を集められます。皆で議して債額を節減し、機会を待つべきだとし、後にその通りになりました。
三爻
険が目の前にあるなら退きます。内側を安んじることが、正しい前進になります。
原文
九三:往蹇来反。
書き下し文
九三、往けば蹇み、来れば反る。
現代語訳
進んで行けば難み、戻って来れば反ります。
爻辞の読み解き
外へ出れば険に遭い、内へ戻れば本来の場へ帰れます。三爻は内卦艮の上位にあり、止の主です。すぐ前には外卦坎の険があり、往けば九五の大難へ赴くことになります。来反とは、内卦へ戻って、まず内部を治めることです。見険能止の徳があるので、往くことを喜ばず、返ることを喜びます。
三が動けば比となり、比は内よりすの意があるので、象伝の内これを喜ぶなりに通じます。戻ることは責任逃れではありません。内側にはまだ守れるもの、治められるもの、喜ぶべきものが残っています。外があまりに険しい時は、まず内部を安定させること自体が済難の一部になります。
実際の読み方
時運は多難で、前進は不利、退いて守るのがよい時です。戦いでは出兵しても旋師する象があります。経営では、出した貨物が戻るので、内地で売り直すのがよいでしょう。功名では、外任が内用へ変わることがあります。
家宅は後ろに山、前に水があり、初めは移ろうとしても後に戻ってまとまります。婚姻は、他へ行こうとして後に帰る形です。行人はその日のうちに来ることもあります。失せ物は、いったん失ってまた手に入ります。
高島の占例
占例1
明治二十三年、国運を占うと蹇が比に変じる九三が出ました。国運は多難で、すぐ外へ向かって蹇を済うより、まず戻って内部を治める方がよいと高島は断じます。五爻で大君が衆を集め、内外が互いに助け合って、およそ二年後に功があると読みました。
占例2
明治元年、ある友人が某藩の命で赴任しようとして別れを告げに来た時も、同じ爻でした。心中では前へ往くことを喜んでおらず、前途にも難があります。支度をしても、後に命によって召し返され、内職に留まるだろうと読みました。実際、出発前に止められて内用となっています。
四爻
一人で進めば難みます。戻って人と連なれば、難を越す力が生まれます。
原文
六四:往蹇来連。
書き下し文
六四、往けば蹇み、来れば連なる。
現代語訳
進んで行けば難み、戻って来れば連なります。
爻辞の読み解き
一人で前へ出れば難に遭い、戻って人と結び直せば道ができます。四は上卦の初めにあり、九五に近い親近の臣です。心腹股肱が君と連なるような位置になります。外へ衝けばなお険に遭いますが、戻って上下を連絡し、同道をつなげば、難を済う実力ができます。
この爻の中心にあるのは連です。初爻は待ち、二爻は難を任じ、三爻は反り、四爻で組織の力が動き始めます。蹇は一人の難ではありませんし、一人だけで解けるものでもありません。四爻では、連なるべき人を連ね、分散した力を一つにします。
実際の読み方
時運は険が多くても、人々が心を合わせれば越えられます。戦いでは軍力が薄いので、各軍と連絡して同心します。功名は段階的に昇る象があります。経営では、取引相手が前後して来て、市がにぎわい、収益が充実します。
家宅は隣家と連なる象で、家道は厚くなります。婚姻は旧親が再び連なる形で吉です。病は連綿としてすぐには癒えにくいものです。行人は外に流連して、しばらく帰りません。
高島の占例
占例1
明治二十四年、ある友人が某国枢密院の気運を占い、蹇が咸に変じる六四を得ました。四爻は君位に比連するので、枢密院が君主の心腹である象にかなうと高島は読みます。その国には内難も外侮も近く、枢密院の諸臣も連累を恐れて、運は一時よくありません。上爻を待って蹇を出るとしました。
占例2
明治三十一年に衆議院の気運を占った時も、同じ爻でした。戦勝の後、政府は各国から疑いの目を向けられて兵備拡張を図り、議会の党派は連絡しながらも意見が一致せず、政府は多難です。後に自由党が政府に近づき、国民協会と連合して増税案が決したことは、来連の象に合いました。
五爻
大きな難は一人では破れません。朋友と人材が集まって初めて越えられます。
原文
九五:大蹇朋来。
書き下し文
九五、大いに蹇みて朋来る。
現代語訳
大いに難み、朋友が来ます。
爻辞の読み解き
大きな難を担う中心に、人々の助けが集まって来る爻です。諸爻は多く往くことを言いますが、五爻だけは来ると言います。五は卦の主であり、諸爻の難がここに集まるので大蹇です。尊位にいて最大の難局を担うからこそ、群才の助けが要ります。
君臣は義で合い、朋友は情で合います。九五は位を得て中に居り、人を任せる徳があります。だから遠近の人が前後して帰服し、羽翼となります。その成功は君位の威福にもよりますが、威福だけで足りるものでもありません。諸臣も朋友も本当に力を出すから、難を越えられます。
実際の読み方
時運は厄が退き始め、危を安に変えられます。戦いでは、前に囲まれていても、救兵がそろって来るので、一戦して囲みを出られます。功名では、尊位に近く、匡済の力があり、大いに栄えます。
経営では、多くの貨物が集まり、一時は売りにくいので通路を待ちます。家宅は禁衛や車馬の往来に近い所で、普通の民居には向かず、会館や議院には向きます。病は危重の大症で、複数の医師にそろって診てもらうのがよいでしょう。妊産は、旧来の断が男児を示します。
高島の占例
明治二十年、ある貴顕が気運を問い、蹇が謙に変じる九五を得ました。卦名が蹇であり、爻辞も大蹇と言うのですから、困難は重なり、一人の力では解けないと高島は断じます。幸いこの貴顕は徳望がもとより著しく、人々の信望を集めています。朋友や同僚の助けを借りれば、大難を平らげられます。ただし今はまだ協力して匡済する途中で、蹇を出きってはいません。一年後、蹇が去って解が来れば、ようやく平安になると読みました。
上爻
難の終わりです。むやみに進まず大人と結べば、大きな成果へ転じます。
原文
上六:往蹇来碩、吉、利見大人。
書き下し文
上六、往けば蹇み、来れば碩なり。吉なり、大人を見るに利あり。
現代語訳
進んで行けば難み、戻って来れば大きなものを得ます。吉です。大人に会うのが利です。
爻辞の読み解き
なお前へ出れば難ですが、戻って主となる人に応じれば大きな成果があります。上爻は蹇の尽きる所にあって、すでに局外にいるようにも見えます。しかし賢人君子は、時の艱難を見ながら、位に当たらないからと世事を聞き流したりはしません。なお険へ往けば蹇です。内へ戻り、九五に応じれば、大きな功を成せます。
碩は大です。上六は九五に近く、九五は大難を済う人です。上六が五に従い、五を見るなら、重任を委ねられます。古の賢人が山を出て時勢を助けたようなものです。前の諸爻は難の中で吉を少なく言いましたが、上爻では蹇の勢いが極まります。極まれば変じるので、ついに吉と言います。
実際の読み方
時運は大難が退き、大運が来ようとしています。仕官や求職で表へ出るのに向きます。戦いでは大軍が集まり、決戦して囲みを出られます。経営では、商人が集まって相場が上がるので、今売れば元を取り利を得ます。
功名は文名が大いに振るい、貴人に会うのに利があります。家宅は地位が高大で、災いが退き、貴人の助けもあります。婚姻は貴い縁になります。訴訟は上級の判断で結ぶことがあります。
高島の占例
気運を問うた友人は、蹇が漸に変じる上六を得ました。上爻は蹇の極であり、極まれば必ず変じます。蹇から解へ向かう、大難まさに解けんとする時だと高島は断じました。この爻を得たのは、大難がすでに去り、好運が来ることの印です。仕官を求めて表へ出て、有徳有位の人に会えば、必ず貴人に引き上げられ、仕途が通じると読みました。
水山蹇:読みの覚え
水山蹇は、前の道が行きにくい卦です。前には険があり、足もとは止まっています。強がって直進するより、止まることを知り、身を返し、助けを求めます。
難所では、まず一度止まる
水が山の前にあり、険は前方、止は足もとです。蹇はただ遅いというだけの卦ではありません。道筋が悪く、力が足りず、時機も合わない。この三つが同時に重なっています。読む時はまず、この道が行きにくいと認めます。立ち止まっても恥にはなりませんし、闇雲に歩く方がよほど危ういのです。険を見て止まれること自体が、彖伝の言う知恵にほかなりません。
止まる前に見分ける
- 目の前の障りは道筋を誤ったからですか、それとも力が今は足りないからですか。 - 引き返して人の助けを求めるべきですか、本当に自分だけで押し通すしかないのですか。 - ここで止まるのは、しりごみですか、それとも正しい保存ですか。
援けを求めるのは弱さではない
進学、訴訟、旅、止まった事業、病の困窮を問う時、蹇はよく西南へ向かえと勧めます。力になってくれる人を探し、もっと平らな道を通ります。まず身を返して自分の弱い所を補い、それからふさわしい援けを求めます。険と知りながら押し通せば、行き詰まりをもう一段深くするだけです。 坎為水とあわせて読むと、坎はすでに険の中へ陥った形で、修行は心を守って険を越えるところにあります。蹇は道の前で阻まれた形で、修行は止まることを知って援けを求めるところにあります。一方は越えることに、もう一方は向きを変えることに重きがあります。雷水解とあわせれば、蹇は結び目、解はほどける時です。難がどこで結ばれているかを見きわめてはじめて、どこから解けばよいかも分かります。
水山蹇:読みの覚え札記を開く
水山蹇は、前の道が行きにくい卦です。前には険があり、足もとは止まっています。強がって直進するより、止まることを知り、身を返し、助けを求めます。
難所では、まず一度止まる
水が山の前にあり、険は前方、止は足もとです。蹇はただ遅いというだけの卦ではありません。道筋が悪く、力が足りず、時機も合わない。この三つが同時に重なっています。読む時はまず、この道が行きにくいと認めます。立ち止まっても恥にはなりませんし、闇雲に歩く方がよほど危ういのです。険を見て止まれること自体が、彖伝の言う知恵にほかなりません。
止まる前に見分ける
- 目の前の障りは道筋を誤ったからですか、それとも力が今は足りないからですか。 - 引き返して人の助けを求めるべきですか、本当に自分だけで押し通すしかないのですか。 - ここで止まるのは、しりごみですか、それとも正しい保存ですか。
援けを求めるのは弱さではない
進学、訴訟、旅、止まった事業、病の困窮を問う時、蹇はよく西南へ向かえと勧めます。力になってくれる人を探し、もっと平らな道を通ります。まず身を返して自分の弱い所を補い、それからふさわしい援けを求めます。険と知りながら押し通せば、行き詰まりをもう一段深くするだけです。 坎為水とあわせて読むと、坎はすでに険の中へ陥った形で、修行は心を守って険を越えるところにあります。蹇は道の前で阻まれた形で、修行は止まることを知って援けを求めるところにあります。一方は越えることに、もう一方は向きを変えることに重きがあります。雷水解とあわせれば、蹇は結び目、解はほどける時です。難がどこで結ばれているかを見きわめてはじめて、どこから解けばよいかも分かります。
この卦を読む前に
本卦、動爻、問いを照らす
卦は一ページだけで読み切るより、問いの置き方、動いた爻、六十四卦全体の流れと合わせて見ると見え方が落ち着きます。
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本卦の問い
この道は、蹇では通れないという意味ですか。
多くは、今この道が歩きにくいという意味であって、永久に道がないという意味ではありません。蹇は、止まって、向きを替えて、援けを求めよと言っています。強行突破を勧めてはいません。
蹇が出たら、最初に何をしますか。
まず止まることです。その上で援けを探します。助けを求めるのを失敗と思う必要はありません。蹇の中で引き返せる人こそ、事の分かった人です。
蹇と坎は、読み方がどう違いますか。
坎は身がすでに険の中にあり、心を守って険を越えるのが修行です。蹇は道の前で阻まれ、止まることを知って向きを変えるのが修行です。一方は険を越え、もう一方は道を替えます。
反身修徳とは、自分を責めることですか。
違います。外の道が通らない時に、自分の側で補える所を先に補うということです。判断、準備、方法、位置。責任を全部背負い込むのではなく、難の中で自分をより確かで信じられるものにしていきます。
この道は、蹇では通れないという意味ですか。開く
多くは、今この道が歩きにくいという意味であって、永久に道がないという意味ではありません。蹇は、止まって、向きを替えて、援けを求めよと言っています。強行突破を勧めてはいません。
蹇が出たら、最初に何をしますか。開く
まず止まることです。その上で援けを探します。助けを求めるのを失敗と思う必要はありません。蹇の中で引き返せる人こそ、事の分かった人です。
蹇と坎は、読み方がどう違いますか。開く
坎は身がすでに険の中にあり、心を守って険を越えるのが修行です。蹇は道の前で阻まれ、止まることを知って向きを変えるのが修行です。一方は険を越え、もう一方は道を替えます。
反身修徳とは、自分を責めることですか。開く
違います。外の道が通らない時に、自分の側で補える所を先に補うということです。判断、準備、方法、位置。責任を全部背負い込むのではなく、難の中で自分をより確かで信じられるものにしていきます。
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