六十四卦 意味・読み方
艮為山|意味・卦辞爻辞解説(ごんいさん)
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本ページは公開資料をもとに、卦辞、彖伝、象伝、占断、爻辞、占例を現代日本語で整理したものです。
引
止まるべき所で止まり、行くべき時に行く。心も身も言葉も位置に戻します。
卦象と卦名
艮は上も下も艮で、重なる山の象です。山は高く厚く、むやみに動きません。そこから安定、停止、収束、守位という意味が出ます。震卦の後に艮が来るのも自然な流れです。震は動きを主る卦でした。雷が動いた後、万物はいつまでも動き続けられません。どこかで止まり、落ち着き、それぞれの位置に戻る必要があります。
卦の中心的な意味
卦体から見れば、艮は二陰一陽です。一陽が二陰の上にあり、陽気が地上に高くとどまるので山になります。震とはちょうど反対です。震は一陽が下にあって内から発動するので動、艮は一陽が上にあって外で止まるので止になります。動きが極まれば静へ帰り、静も時に合えばまた行く。これが艮の根本です。
卦辞は「其の背に艮まり、其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず。咎なし」と言います。背は身の後ろで、自分から見えにくく、物を取りに行く場所でもありません。背に止まれば、心は私欲から遠い場所に置かれます。庭に行って人を見ないとは、本当に人がいないという話ではなく、目の前の人事に心が引きずられないという意味です。
向いている問い
艮を得たら、進めるかどうかより先に、今どこで止まるべきかを問います。仕事なら拡張を止めて本業を守り、関係なら言い争いを止めて節度を守り、健康なら休んで消耗と怒りを止めます。
艮のよさは安定にあり、危うさもまた安定の行き過ぎにあります。時に合って止まるのは知恵ですが、責任から逃げて固まるだけなら、それは艮とは呼べません。
卦辞
背は自分に見えず、何かを取りに行く場所でもありません。そこに心を止めます。
原文
艮:艮其背、不獲其身、行其庭、不見其人、無咎。
書き下し文
艮は其の背に艮まりて、其の身を獲ず。其の庭に行きて、其の人を見ず。咎なし。
現代語訳
その背に止まります。その身を得ません。その庭に行ってもその人を見ません。咎はありません。
卦辞の読み解き
欲に引かれにくい所で止まれば、自他への執着は薄れ、咎もありません。卦辞の中心にあるのは背です。顔、手、足は前にあって自分にも見え、すぐ動きます。背は後ろにあって自分では見えず、外物を取りに行く働きも弱いところです。背に止まるとは、追わず、競わず、見せようとしない位置に自分を置くことを言います。そこに止まれれば、眼前の欲、評価、誘いに動かされにくくなります。
「其の身を獲ず」は、背を向けて立てば互いに見えないように、自己への執着が弱まることを言います。身体を失うという話ではありません。背に止まり、身に執われない。「其の庭に行きて其の人を見ず」も同じで、庭の中にいながら、外の人によって分別、へつらい、争いの心を起こさないという意味です。目を閉じて世界を拒む態度とは、まったく別ものです。
高島はこの読みを人事にも国家にも広げます。人事には静から動へ行く震があり、動から静へ帰る艮があります。艮の止は、仏老の枯寂断滅とも、一切を押し殺すこととも違います。時を審らかにし、場所を得て、正しく止まります。国家で言えば、乱がまだ萌さないうちに防ぎ、暴が動こうとする時に止める働きにあたります。光明正大な陽で陰暗の潜謀を止めるので、その道は光明です。
実際の読み方
現実では、艮を逃避と読まないことが大切です。背に艮まるとは、責任を捨てることではありません。まず自尊心、貪り、怒りを前に出さないでおきます。
衝突したら、どうしても勝ちたい、証明したい、すぐ返したいという衝動を止めます。誘いが来たら手足を止めます。情報が多すぎたら、目と耳を一歩引かせます。そうすれば大きな咎はありません。
彖曰
時に合っていれば、止まっていても動いていても、その道は光明です。
原文
艮、止也。時止則止、時行則行、動静不失其時、其道光明。艮其止、止其所也。上下敵応、不相与也。是以不獲其身、行其庭不見其人、無咎也。
書き下し文
艮は止まるなり。時止まるべければ則ち止まり、時行くべければ則ち行く。動静其の時を失わざれば、其の道光明なり。其の止まるに艮まるとは、其の所に止まるなり。上下敵応して、相与せざるなり。是を以て其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず、咎なきなり。
現代語訳
艮とは止まることです。止まるべき時には止まり、行くべき時には行きます。動静がその時を失わなければ、その道は光明です。「艮其止」とは、止まるべき所に止まることです。上下は同じ性質で応じ合わず、互いに与しません。そのため自分の身にとらわれず、庭を歩いてもそこにいる人を見ず、咎がありません。
彖伝の読み解き
止とは、ただ動かないことを言うのではありません。時に合って止まり、時に合って行く——それが艮の止です。この数句が艮を生きたものにしています。止は、固まった姿勢というより時機の判断にあたります。止まるべき時に止まるのが正しい止です。行くべき時に行くことも、私欲に流されず時に合っているなら、艮の道から外れません。
「所」と「時」は分けて見ます。所は止まる場所に定位があるかどうか、時は止まり方が死に固まっていないかどうかを見ます。一見すると定まっていないようでも、その時に合っていれば、そこが止まる所になります。平たく言えば、今日が守る時なら守り、明日条件が熟して動く時なら動く。私欲に引かれない限り、動も止の中にあり、静も止の中にあります。
「上下敵応して相与せず」とは、上下二つの艮が同じ山のように向かい合い、互いに引き合わないことを言います。二つの山がそれぞれ屹立し、寄りかかりません。だから内では自分の身に執着せず、外では他人を追いません。その結果、「其の身を獲ず、其の庭に行きて其の人を見ず」という境地が現れます。
実際の読み方
何かをするかどうかを判断する時は、自分がしたいかどうかだけで決めません。時と位を見ます。時が来ていないのに動けば妄動になり、時が来ているのに縮こまっていれば失時になります。
艮の実用は単純です。まず外の騒音から心を戻し、今は止まる時か、守る時か、待つ時か、それとも節度を持って進む時かを見極めます。
象曰
山がそれぞれの所に止まるように、思いも自分の位を越えません。
原文
兼山、艮、君子以思不出其位。
書き下し文
山を兼ぬるは艮なり。君子以て思うこと其の位を出でず。
現代語訳
重なる山が艮です。君子はこれを見て、思いをその位から出しません。
象伝の読み解き
山が自分の所に止まるように、考えも自分の責任と位置を越えません。兼山とは、一つの山の外にまた一つの山がある形を言います。二つの山は相対し、それぞれ安んじて自分の所に止まります。ほかの八純卦には上下が互いに連なる意味の強いものもありますが、艮はとくに上下の山がそれぞれの所に止まり、越え合わないことを重んじます。
「思うこと其の位を出でず」は、まず自分の責任、権限、現在の段階を知れと求めます。視野を狭くせよという話ではありません。思いが位を越えると、行動も乱れます。行動が乱れれば、本来の止まるべき所から外れ、むやみに動くことになります。
ここで引かれるのが『中庸』の「其の位に素して行い、其の外を願わず」です。今いる位置で、その位置の仕事を確かにする。自分の権責でないことを奪わない。まだ自分の時でないことに焦らない。すでに自分に落ちている責任を押し返さない。そういう心得になります。
実際の読み方
会社では、越権して約束せず、人の職責をむやみに背負い込みません。家庭では、親、子、伴侶がそれぞれの節度を守ります。
学びや修行では、遠くの名利に心を乱されず、目の前の課題を固めます。念を本位に止められれば、行動は自然に安定します。
占断
拡げるより先に、誤った動き、貪り、越位を止めて根本を固めます。
総合的な占意
この卦では、止の字を取り違えるのがいちばん怖いところです。希望がないという話でも、一律に退けという指示でもありません。今いちばん大切なのは、拡げる動きより、誤った動き、貪り、争い、越位を止めるほうです。
項目別の占断
- 時運と行動:運は平穏です。適切な位置を守り、停滞を失敗と見てむやみに動きません。
- 戦いと競争:互いに境界を守り、越境して一時の勝ちを求めません。
- 経営と功名:本業と従来の秩序を守り、思いがけない利益や僥倖による昇進を貪りません。
- 婚姻と家宅:貧富だけで相手を選ばず、分と誠を守ります。住まいも軽率に改造しないほうがよい時です。
- 訴訟・失せ物・病:理のない主張を強弁しません。失せ物は元の場所や近くを探します。長引く症状は消耗を抑え、医学的な診療に従います。
六爻の要点
- 初六:足を踏み出す前に衝動を止めれば、後の災いを芽のうちに防げます。
- 六二:自分は止まれても従う相手を救えない時は、できることの限界を認めます。
- 九三:内外を無理に断ち切る止め方は、静けさより先に心身の痛みを招きます。
- 六四:力が限られる時は、まず自分の身と分を守れば咎を免れます。
- 六五:黙るかどうかより、言葉に順序と節度を持たせることが大切です。
- 上九:止まる力が無理な我慢を越えて厚い徳になれば、安定して吉に終われます。
実際の読み方
選択を問うなら、艮はまず減らすことを勧めます。無効な連絡を止め、危険な投資を一時止め、手元の資源を守り、境界と職責を点検します。
長期計画なら、基本の土台を立て直します。関係なら、一言少なくし、一拍遅らせ、感情を相手に押しつけません。
初爻
足の指が動く前なら、まだ簡単に止まれます。早い停止が長い正につながります。
原文
初六:艮其趾、無咎、利永貞。
書き下し文
初六、其の趾に艮まる、咎なし、永く貞しきに利あり。
現代語訳
その足の指に止まります。咎はありません。長く正しくするのに利があります。
爻辞の読み解き
動き出す最初の所で止めれば咎はなく、長く正を守るのに利があります。趾は身体の中でいちばん先に動く所です。人が歩こうとする時、まず足の指に動く気配が出ます。人が過ちを犯す時も、小さな動作、小さな念、小さな試しから始まることが多いものです。だから初爻は、まさに動こうとする初めに止めよと言います。
人欲がまだ萌さないうちに止め、正理がまだ現れないうちに保存する。早く止めるほど楽になります。すでに遠くまで歩き、言葉に出し、局面を作ってから止めるのは難しいものです。「永く貞しきに利あり」とあるのは、この早止めが一時の我慢で終わらず、長く正を守る構えだからです。
実際の読み方
時運は、一つの段階に入ったばかりで、穏やかに正を守る時です。戦いでは軍が山の足もとにあるので、静守がよいでしょう。経営では足るを知って本業を守り、新しい局面を貪りません。
功名は小さな起点でも、正を守れば保てます。家宅は長く住め、婚姻は久しく合う象があります。病は足や歩行に関わることがあるので、早く治して養います。
高島の占例
明治二十四年にある大臣の気運を占って、艮が賁に変じる初六を得たことがあります。高島は、二つの山が並び立ち、もうこれ以上前進できないと見ました。初爻は趾であり、趾が動かなければ全身も動きません。爵位を保って正を長く守るべきで、さらに昇進や任用を求めるべきではない。妄りに動けば過失がある、というのが断でした。
二爻
自分は止まれても、従う相手までは救えません。その不快さごと引き受けます。
原文
六二:艮其腓、不拯其随、其心不快。
書き下し文
六二、其の腓に艮まる、其の随うを拯わず、其の心快からず。
現代語訳
そのふくらはぎに止まります。従うものを救いません。その心は快くありません。
爻辞の読み解き
自分は止まっても従う相手を救えず、心が晴れません。腓はふくらはぎで、足の指の上にあります。足の指が動けば小腿もついて動き、足の指が止まれば小腿も影響を受けます。六二は柔順で、本当は止まりたいところです。しかし上の九三が門限のように前に横たわり、下の初に従う関係もあるので、自分だけで局面を救えません。それで心が快くないのです。
この爻が言うのは大凶ではありません。動くにも止まるにも人に引かれる、その不快さです。停止には、自分から選んだものばかりでなく、状況、上位者、仲間、身体条件、外部環境によってやむなく止まる場合もあります。そういう時に何もかも救おうとすれば、かえって疲れるだけです。
実際の読み方
時運は阻みがあり、思いのままに動かないほうがよい時です。戦いでは堅守して進まず、外援も少ないので、心が鬱します。経営では貨物が滞り、無理に押しても売れません。
功名は少しも進めず、強い援けも得にくいところです。病は古い占い方では足や秋の症などを取り、薬力だけでは速く救いにくい象としますが、現実には早く診てもらいます。関係では、従うことと自立の間に不快さが残ります。
高島の占例
占例1
鉱山を占ったとき、艮が蠱に変じる六二が出ました。背と腓の位置から、鉱穴は山背、股下足上にあると見つつ、爻義は停止を主るので、倡議者は止まり、従う者も救えず、しばらく退いて五爻の悔亡の時を待つべきだと読んでいます。
占例2
明治二十七年の冬至に戦後の形勢を占ったときも、同じ爻でした。大戦の後は止戈休養すべきで、軍士は動きたがっても、朝廷は静かに鎮めるのがよい。軍中に不快が残るのも、この爻の姿です。
三爻
腰で強く断ち切れば、静けさより先に、裂けた内側と焼ける心が来ます。
原文
九三:艮其限、列其夤、厲熏心。
書き下し文
九三、其の限に艮まる、其の夤を列く、厲うくして心を熏す。
現代語訳
その限に止まります。その背肉を裂きます。危うくて心を薫します。
爻辞の読み解き
境目で無理に止めすぎると、内外が裂け、心が苦しく危うくなります。限は門限、内外の境目です。夤は背骨を挟む肉を指します。三爻は内卦と外卦の間にあり、身体で言えば腰脊のあたりに門限を置くような位置です。止を、強く切ること、押しつけること、断絶することだと取り違えれば、人身の上下の血脈を分けるように、気血が通わず、心火が上へ薫ります。
この爻は重く読まれてきました。心はもともと虚霊で、事に応じて自然に感通すべきものです。艮は止を説きますが、その止は「時止まるべき時は止まり、時行くべき時は行く」という止です。強制的に心を降伏させ、自分と外界、上下、人情、流通をすべて断ってしまえば、表面は静かでも、内実は危うくなります。真の止は安定であって、閉塞ではありません。往来を絶つ代わりに、節度を置きます。
実際の読み方
時運は、順境でも逆境でも時に従うことが要ります。強制すれば危うくなります。戦いでは二軍が対峙し、境界を切るだけでは済みません。経営では流通があってこそ利があり、閉じこもれば困ります。
功名は一技一隅を守るだけでは大器になりません。家宅は厳格さこそよいものの、内外を隔絶すれば家道が通じません。婚姻は門戸の見方が重すぎると成りにくくなります。病は上下不交、血脈不通の象として重く見ます。
高島の占例
ある貴顕の気運を占って、艮が剥に変じる九三を得ました。高島は、この人は政府の内外と情意が通じず、位置を高くして人との往来を軽んじるので、次第に孤立すると読みました。才智があっても施す所がありません。爻辞の「限に艮まり、夤を列く、厲うくして心を薫す」は、まさに内外が隔絶し、心背が裂かれる象です。補うには咸卦の感通を取り、みずから交通を求める必要があるとしました。
四爻
大局は動かせなくても、身と分を守っていれば咎はありません。
原文
六四:艮其身、無咎。
書き下し文
六四、其の身に艮まる、咎なし。
現代語訳
その身に止まります。咎はありません。
爻辞の読み解き
自分の身体と行いをその場に止め、分を守れば咎はありません。身は全体を指します。四爻は下卦の上、上卦の下にあり、身体で言えば中ほど、心にも近い位置です。柔順で正を得ており、上の六五にも近いので、自分の止まるべき所に止まり、身体と行いを乱しません。
この爻は九三より穏やかです。九三は強く隔断して心が薫されました。六四は自分の身に戻り、身において止まります。天下を兼ねて救う力や大局を動かす力はなくても、自分の身を清く守り、職分を越えず、妄りに動かない人にはなれます。空虚な静坐に沈むのではなく、心の節度を身体の行動へ実際に落とすところに、この爻の値打ちがあります。
実際の読み方
時運は柔順に身を守れば平安を保てます。戦いでは大きく進取できませんが、自身が大傷を受けることもありません。経営では元手を守るのが中心で、拡張は向きません。
功名は大きな得失がありません。住まいでは落ち着いて暮らせます。婚姻は可もなく不可もありません。病は養生しながら長く保つ象です。失せ物は身近な所、または身につけている所を探します。
高島の占例
明治二十年、ある貴顕の気運については、艮が旅に変じる六四が出ました。高島は、四爻は身心を兼ねて言い、保身安命を主ると断じました。その人の爵位はすでに顕れているので、職分を謹んで守り、日夜怠らず、名声、俸禄、地位を保ち、太平の福を安んじて受けるのがよい。ほかに大きな働きを求める必要はないとしました。
五爻
言葉に順序があるか。輔で止めるとは、時と筋を整えて口を開くことです。
原文
六五:艮其輔、言有序、悔亡。
書き下し文
六五、其の輔に艮まる、言うこと序有り、悔い亡ぶ。
現代語訳
その口のわきに止まります。言うことに順序があります。悔いは亡びます。
爻辞の読み解き
言葉の出口を制し、順序立てて言えば、悔いは消えます。輔は口のわきで、発言に関わります。輔に艮まるとは、口を封じてしまうことではありません。言葉の出口を管理することです。言う時を待ち、意味を順序立て、節度を中正に合わせます。妄言が少なければ悔いも少なく、言うべき時に明らかに言えば、事も誤りません。
君子の道は黙り込むところにはなく、「時ありて後に言う」ところにある——高島はそこを強調します。黙るべき時は黙り、語るべき時は語る。語ることも黙ることも時を失わない時、はじめて言有序です。五は外卦の中にあって中正の位を得ています。だから議論、号令、消息、媒妁の言葉を、正しい秩序の中へ収められます。
実際の読み方
時運は中正を得ています。話を慎めば悔いはありません。戦いでは流言が軍心を乱すことを最も恐れるので、号令を明らかにします。経営では商業情報を軽く漏らさず、交渉は要点を押さえます。
功名は巧言で敗れ、正言で成ります。家宅は中正で安らかです。婚姻では媒人の言に誇張が生じやすいので、聴く側が慎みます。病は口、歯、発声などの象として、現実の症状に従って受診します。
高島の占例
明治二十四年、日野西公と稲葉正邦が、疫病、大津事件、濃尾震災、伊勢神宮の庭燎異常などを語り、議会の成否を憂えました。高島は以前、衆議院を占って艮が漸に変じる五爻を得ています。「艮其輔」は、衆議の中の根拠ない妄言を止め、議者の言葉に序があってはじめて聴き納められるという意味だ、と読みました。しかし実際には出言不遜、政府を困らせる言葉が多く、ついに勅命による解散に至ると予見し、後にその通りになりました。
上爻
厚みが出て人を凌がなくなった時、止まる力はそのまま徳になります。
原文
上九:敦艮、吉。
書き下し文
上九、敦く艮まる、吉なり。
現代語訳
止まることが厚いです。吉です。
爻辞の読み解き
止め方が厚く安定して、徳にまでなっていれば吉です。敦は厚いことを言います。山は高いほど根が厚くなければなりません。人も高位、晩年、終局に至るほど、厚い徳をもって自ら止まる必要があります。前の爻は趾、腓、限、身、輔と身体の一部で止を説きましたが、上爻では特定の部位を言わず、ただ敦艮と言います。止の工夫が一つの気質にまで育ったからです。
全卦六爻のうち、直接に吉と言われるのはこの上爻だけです。艮の道はここで厚く終わります。恐れて動けないのでも、困って止まるのでも、心を押し殺すのでもありません。自分がどこに止まるべきかを知り、忠厚で、穏重で、人を凌がない態度でその位置を守る。厚く終わることが、艮の完成です。
実際の読み方
時運は、すでにこれ以上進みにくい所まで来ています。厚みに厚みを加えて守成すれば吉です。戦いでは地位が高いので、兵力と地盤を厚くします。経営では成熟した商いで、品がよく値も高く、利も厚いのですが、軽はずみな無理押しは避けます。
功名は上選を望めます。家宅は代々忠厚の家になります。婚姻は吉です。病は素体が厚く、不薬にして喜ぶ象もありますが、現実の病状に従って治療します。
高島の占例
明治二十七年三月、別の貴顕が自身の気運を占い、艮が謙に変じる上九に当たりました。高島は、この人は山のように位が高く、人民が仰ぎ見るけれども、もとより忠厚で、勢位をもって人を凌がないと読みました。すでに兼山の上にいるのだから、止まるべき所に止まり、厚さにさらに厚さを加えるのがよい。そうすれば己にも人にも吉で、晩運は亨ります。
艮為山:読みの覚え
艮為山は、止まるべき所で止まる卦です。止まることは停滞というより、心身と言葉をそれぞれの位置へ戻す働きにあたります。
どこを止めるかを間違えない
艮の止は、すべてを凍らせることではありません。彖伝は、止まるべき時に止まり、行くべき時に行くと言います。時に合っていれば、動いていてもなお艮の道の内側です。 止めるべきものは、足かもしれませんし、口かもしれません。欲や思い込みのこともあります。初六が足の指で止めるのは、まだ小さいうちのほうが止めやすいからです。九三のように腰で強く断ち切れば、静かになるどころか、内側が裂けて心が焼けます。
止まる前に確かめたいこと
- 今止めるべきものは、足ですか、口ですか、それとも欲ですか。 - 硬く止めすぎて、内側を裂いていませんか。 - 自分の位を越えた思いに引かれていませんか。 - 休職、沈黙、境界の設定、撤退。どれも成果を急がず、順序から整えていますか。
退く卦と、止まる卦
天山遯とあわせると、遯は身を退いて危険から離れ、艮は心と行いをその場で止める卦なので、退避と停止を分けて読めます。山水蒙とあわせれば、蒙は理解を開くための啓発、艮は学びを散らさないための止まり所を示し、学問にも節目が要ると分かります。
艮為山:読みの覚え札記を開く
艮為山は、止まるべき所で止まる卦です。止まることは停滞というより、心身と言葉をそれぞれの位置へ戻す働きにあたります。
どこを止めるかを間違えない
艮の止は、すべてを凍らせることではありません。彖伝は、止まるべき時に止まり、行くべき時に行くと言います。時に合っていれば、動いていてもなお艮の道の内側です。 止めるべきものは、足かもしれませんし、口かもしれません。欲や思い込みのこともあります。初六が足の指で止めるのは、まだ小さいうちのほうが止めやすいからです。九三のように腰で強く断ち切れば、静かになるどころか、内側が裂けて心が焼けます。
止まる前に確かめたいこと
- 今止めるべきものは、足ですか、口ですか、それとも欲ですか。 - 硬く止めすぎて、内側を裂いていませんか。 - 自分の位を越えた思いに引かれていませんか。 - 休職、沈黙、境界の設定、撤退。どれも成果を急がず、順序から整えていますか。
退く卦と、止まる卦
天山遯とあわせると、遯は身を退いて危険から離れ、艮は心と行いをその場で止める卦なので、退避と停止を分けて読めます。山水蒙とあわせれば、蒙は理解を開くための啓発、艮は学びを散らさないための止まり所を示し、学問にも節目が要ると分かります。
この卦を読む前に
本卦、動爻、問いを照らす
卦は一ページだけで読み切るより、問いの置き方、動いた爻、六十四卦全体の流れと合わせて見ると見え方が落ち着きます。
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本卦の問い
何も進まない時期です。これは停滞ですか、それとも艮ですか。
時に合った停止なら、心身は落ち着き、手元の土台は固まっていきます。不安と焦りだけが増えるなら、責任から目を逸らして固まっているほうかもしれません。艮は逃避の言い訳には使えません。
黙っていれば、穏やかに済みますか。
六五が説くのは沈黙そのものより、輔、つまり言葉の出口を管理することです。黙るべき時に黙り、言うべき時に明らかに言えれば、悔いは消えます。
相手を止められません。自分だけ止まっても意味がありますか。
六二は、自分は止まれても従う者を救えず、心が快くないと言います。何もかも救おうとすれば疲れるだけなので、自分の範囲を守り、時が変わるのを待ちます。
止まり方がうまくいっている合図はありますか。
上九の敦艮が目安になります。無理に耐えている段階を過ぎて、厚みが出て、人を凌がず、その位置に落ち着いていられる。そこまで来れば、艮の止まりは徳になっています。
何も進まない時期です。これは停滞ですか、それとも艮ですか。開く
時に合った停止なら、心身は落ち着き、手元の土台は固まっていきます。不安と焦りだけが増えるなら、責任から目を逸らして固まっているほうかもしれません。艮は逃避の言い訳には使えません。
黙っていれば、穏やかに済みますか。開く
六五が説くのは沈黙そのものより、輔、つまり言葉の出口を管理することです。黙るべき時に黙り、言うべき時に明らかに言えれば、悔いは消えます。
相手を止められません。自分だけ止まっても意味がありますか。開く
六二は、自分は止まれても従う者を救えず、心が快くないと言います。何もかも救おうとすれば疲れるだけなので、自分の範囲を守り、時が変わるのを待ちます。
止まり方がうまくいっている合図はありますか。開く
上九の敦艮が目安になります。無理に耐えている段階を過ぎて、厚みが出て、人を凌がず、その位置に落ち着いていられる。そこまで来れば、艮の止まりは徳になっています。
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