高島易断
風沢中孚|意味・卦辞爻辞解説
風沢中孚䷼:一言で読む 中孚は、心の中から出る本当の信です。内心が明るく空き、自分を欺かず、外の言行にも信があるので、微かなものにまで届き、感じ取りにくい相手にも通じます。 現代語訳 中孚は上卦が巽で風、下卦が兌で沢です。風が沢の上を吹くと、もともと平らな水面に波が起こります。人の心も本来は平らかであり、本当の感動に触れると自然に応じます。高島は、風は四時に応じ、季候を誤らないので風の信であり、沢は潮水を受け、朝夕の来去に期を失わないので沢の信であると説きます。風と沢が合わさって中孚となります。
導入
一言で読む
中孚は、心の中から出る本当の信です。内心が明るく空き、自分を欺かず、外の言行にも信があるので、微かなものにまで届き、感じ取りにくい相手にも通じます。
現代語訳
中孚は上卦が巽で風、下卦が兌で沢です。風が沢の上を吹くと、もともと平らな水面に波が起こります。人の心も本来は平らかであり、本当の感動に触れると自然に応じます。高島は、風は四時に応じ、季候を誤らないので風の信であり、沢は潮水を受け、朝夕の来去に期を失わないので沢の信であると説きます。風と沢が合わさって中孚となります。
孚は信ですが、口先の信用より深いものです。外に言い出すものは信、心の中で真実で欺かないものが孚です。中孚の卦形は、三、四の二陰が内にあり、中が虚です。虚だから通じます。二、五の二陽は中に居り、心の中に本当の骨力があります。実だから誠があります。虚とは空っぽということではなく、私心で塞がれていないことです。実とは強硬ではなく、頼れる中心があることです。
卦辞は「中孚は、豚魚にして吉。大川を渉るに利があります。貞に利があります」と言います。誠信が深ければ、豚魚のような微小で感じにくいものにさえ感応します。だから吉です。そのような真実があれば、大川を渉るにも利があります。ただし中孚も正を守る必要があります。真誠を誤った方向へ用いれば、偏信、虚名、狭い忠義や小さな信義にもなります。
実際の読み方
中孚を得たら、まず心に自欺がないか、言行が一致しているかを見ます。関係なら真心が応じているか。協力なら互いに信じられるか。訴訟なら慎重に審べ、急断しないか。事業なら名声が実徳に支えられているかです。
中孚は、よい言葉を言うことではありません。心が本当で、他人が自然にそれを感じることです。
卦辞
一言で読む
内心の誠が本物なら微かな相手にも通じ、大きな険も渡れますが、正道から外れてはいけません。
現代語訳
中孚は豚魚に及んで吉です。大川を渡るのに利があります。正しさに利があります。つまり、真実の信が微かなものにまで届けば吉で、大きな険も渡れるが、正しさが必要、という字面です。
卦辞は中孚の力を極めて深く言います。信が知人だけを感動させる程度なら、まだ深くありません。豚魚にまで感ずるほどであって、初めて真誠に間がないことが分かります。高島は、兌沢は小豕を牧することができ、小豕を豚とし、巽には魚の象があり、魚は水沢を得て楽しむと説きます。また豚魚を江豚とする説もあります。風が起きる時、江豚が水中で拝舞し、川を渡る人はそれで風を候う。いずれにしても、微物が風信に感ずることが中心です。
「大川を渉るに利があります」も空言ではありません。巽は木であり、木は舟楫になります。卦中には中が虚の象があり、空舟が波に随って行くようです。人心が空明で真実であり、私欲で満たされていなければ、舟の中に重物がないように、水に遇えば浮き、風に遇えば行きます。大きな険があっても渡れます。
しかし卦辞は「貞に利があります」と言います。誠信は正を守らなければなりません。真誠は任性ではありません。誰かを迷信することでもありません。狭い忠義や小さな信義で私欲を飾ることでもありません。中孚が最も恐れるのは、外で大きく誠を語りながら、内に実徳がないことです。また内心が熱くても、方向が正しくないことです。
実際の読み方
協力では、真の条件、真の危険、真の承諾を明らかにします。感情では、心と口を一致させ、試しや技巧で信頼を代用しません。
大きな決定では、真実と正道によって険を渡ります。感情だけで冒険することではありません。
彖伝
一言で読む
心は柔らかく空き、中には剛実があり、悦んで順えば、信は人や国を感化します。
現代語訳
柔が内にあり、剛が中を得て、悦んで巽います。孚があってこそ国を化します。豚魚吉とは、信が豚魚にまで及ぶことです。大川を渡るのに利があるとは、木舟に乗ることです。中孚によって正しさに利があります。つまり、心が空き、中に実があり、誠が微かなものまで届けば大きな事も渡れる、という字面です。
柔が内にあるとは、心が虚で、容れ、感じることができることです。剛が中を得るとは、中に原則と骨力があることです。兌は悦、巽は順です。人が受け入れたいと思える形で行われます。このような信は、威逼に頼らず、一国を感化できます。
高島は、孚の字は爪と子から成り、鳥が子を抱くような形だと説きます。鳥は時に合わせて卵を抱き、雛を育て、期を失いません。これが信です。中孚は鳥が卵を孵すようなものです。外から見ると静かでも、中では生命が形を成しています。人の真誠も同じで、騒がしくなくても、ゆっくり人を化します。
この卦が節の後に来るのも意味深いです。物事に節があってこそ、守るべき常があります。常を守れるから信が生まれます。言葉も感情も財用も、日によってころころ変わり節がなければ、人はその人を信じにくい。節の後が中孚であることは、安定した節度が本当の信頼を育てることを示します。
高島は国家にも用います。本当に徳ある統治は、必ずしも目先の小さな恩恵を先に施すことではありません。徳が盛んであれば、民は自然に信服します。大は万邦の協和、小は魚鼈の感応まで、みな「孚乃ち邦を化す」の象です。これは神秘ではなく、真誠と秩序が深く積もれば、人が応じたいと思う風気になるということです。
実際の読み方
中孚の信は、弱い迎合でも、机を叩いて従わせることでもありません。心が塞がらず、原則を緩めず、表現は聞きやすく、行動は検証できることです。
これができれば家庭は和し、組織はまとまり、協力は長く続き、険事も渡る余地が生まれます。
象伝
一言で読む
真実を重んじるからこそ、争いを裁く時はよく議し、死に関わる判断を急ぎません。
現代語訳
沢の上に風があるのが中孚です。君子はこれを見て獄を議し、死を緩くします。つまり、訴えをよく相談し、死刑のような重い判断を急がない、という字面です。
「風が沢上にある」と言わず、「沢上に風あり」と言うのは、水面が風によって動くところを見るためです。沢水は本来静かです。風が来れば波が起こります。人心も本来は平らかであり、争いが起これば刑獄へ向かうことがあります。
中孚を刑獄に用いるとは、ただ同情して人を放すことではありません。たとえ証拠が信じられるように見えても、なお議し、なお緩め、なお疑点を調べることです。『尚書』は「罪疑わしきは惟れ軽くす」と言います。疑いがあれば軽くする。高島は、議獄とは疑うべきを審らかにすることであり、緩死とは生かすべきを求めることだと説きます。生殺を握る時にも真実の仁心を存するなら、中孚は極まります。
このことはまた、中孚が盲信ではないことを示します。本当の信には審慎が含まれます。本当の仁には手続きが含まれます。本当の誠は、他人の生命、名誉、前途を軽々しく決めません。
実際の読み方
普通の衝突処理にも使えます。一方の言い分だけを聞いて罪を定めないこと。感情が高ぶっている時に最終判断をしないこと。「私は信じる」を「事実は明らか」と取り違えないことです。
中孚は心の誠を求めます。同時に、判断を少し遅く、深く、寛くすることを求めます。
占断
一言で読む
内外一致の信があれば険を渡れますが、隠し事や急断は風波と訴訟を招きます。
現代語訳
高島の総占では、時運を問えば「沢上に風あり」で、風波の険を防ぎます。経営や売買では、よく相談し、ゆっくり行うことで害を免れます。戦争や競争では、心に殺を好まず、誠をもって人を感ぜしめれば、向かう所に利があります。功名は、罪獄がまだ平らかでない時は望みにくい。
婚姻は、婚媾によって争いを招き、訴えになることを防ぎます。家宅は訴訟、刑獄の憂いを主ることがあります。病は危険があっても、一時は命を保つことがあります。訴訟はすぐには終わらず、緩く議するのがよい。妊娠出産の古占は女を主ることが多い。
これらの占断が風波や獄に偏るのは、中孚の大象が直接「議獄緩死」と言うからです。信があれば争いを化せます。信がなければ、風波は獄になります。中孚が最も嫌うのは、心に別の目的があるのに、口では誠実に語ることです。また一時に何かを信じ込み、軽く他人を断つことです。
実際の読み方
中孚を得たら、まず真の状況を開き、ゆっくり議します。急断しません。協力では契約と信用を重んじます。感情では誠意と一致を重んじます。訴訟では証拠と疑点を重んじます。
内外が一致すれば険は渡れます。内外が一致しなければ、小事も大きな風波になります。
初爻
一言で読む
信頼の始めは本心と本業を守り、別の欲を入れないほど安らかです。
現代語訳
虞れば吉です。ほかのものがあれば安らかではありません。つまり、用心して本心を守れば吉だが、別心が入ると安らかでない、という字面です。
高島は虞を虞人、つまり山沢の漁猟、林木を掌る人と解します。虞人は時に従って沢や林に入り、魚や木を取ります。時を誤らず、分を乱さなければ吉です。もし別の求めがあり、時でないものを貪り、分でないものを取れば安らかでありません。燕は安です。
象伝は「初九虞れば吉とは、志未だ変ぜざるなり」と言います。初爻は中孚の始めであり、最も大切なのは志がまだ変わらず、心に他念がないことです。信頼が築かれ始めた時、あれもこれもと心が移ってはいけません。一つでも他が入れば、上下は相孚せず、本来の安定は破れます。
占例では、友人が商業を問うて中孚の初爻が渙に変じました。高島は、謀る業は木や沢に近く、虞人が沢梁に入る象に合うと読みました。人々はすでに同心相孚しており、事業は始まったばかりです。別の路を求める必要はありません。本業に安んじ、時に従って行けば、冬の頃に利益を得るのがよいと断じました。
実際の読み方
時運は用心が一つなら吉です。別の道に誘われなければよい。経営は本業に安んじ、目移りして別の道へ移らないことです。功名は志あればついに成ります。
戦いは専心一志で勇往すれば勝てます。婚姻は一人に従って終わる象です。病は本来大きな憂いはありませんが、別の変化を防ぎます。訴訟は枝葉が別に生じることを恐れます。
二爻
一言で読む
真実の声は隠れた場所からでも響き、同じ心の相手が自然に和します。
現代語訳
鳴く鶴が陰にいます。その子がこれに和します。私に好い爵があります。私はあなたとこれを分かち合いましょう。つまり、隠れていても真の声は応じ合い、よいものを共にする、という字面です。
鶴が幽かな陰の所で鳴き、小鶴がそれに和します。自分に好い酒、または美しい爵禄があれば、それをあなたと分かち合おうと言います。これは中孚で最も美しい爻で、心声が通じ、同気が相求めることを説きます。
鶴は信の鳥で、夜半に鳴いても時を失いません。九二は下卦の中にあり、表で目立たなくても真実の声があります。九五と感応し、母子が相依り、夫婦が唱和し、朋友が同心するような形です。高島は、これは外貌の親近ではなく、中心が相孚することなので、象伝が「其の子之に和すとは、中心願うなり」と言うのだと説きます。
占例一では、ある貴人が喪偶して多年、朋友が再婚を勧めました。占ってこの爻を得ると、高島は、鳴と和は二心が相得ること、好爵と爾靡は栄貴を共にすることだと読みました。この婚姻は佳婦を得るだけでなく、将来佳児も得るだろうと断じ、媒事は果たして成りました。占例二では、明治三十年に日本とアメリカの交際を占い、高島は両国が重洋を隔てていても父子兄弟のように親しみ、邦交はますます親睦になると読みました。
実際の読み方
時運は、こちらが唱えればあちらが和し、まさに心願に合います。経営では主客が同心し、互いに利を得ます。功名は父子がともに昇り、上下に助けられる象があります。
戦いでは上下が一体で進退同心、攻められにくい。婚姻は夫婦唱随です。病は伝染、または互いに関わり合う象があります。家宅は貴顕の家で、賢い子もあります。
三爻
一言で読む
中心が定まらないと、敵に遇っただけで進退も喜怒哀楽も揺れ続けます。
現代語訳
敵を得ます。ある時は鼓し、ある時は止み、ある時は泣き、ある時は歌います。つまり、相手にぶつかって心が定まらず、動いたり止まったり泣いたり歌ったりする、という字面です。
三と四はともに陰柔で、相応せず、かえって敵体となります。二から四の互卦は震で、震は鼓です。艮止の象もあるので、鼓して動き、また罷めて止まります。兌は口で歌い、巽は号び泣く。そこで感情と行動が一定しません。
高島は、中孚がある人は千里離れても応じ合い、中孚がない人は同室にいても相違うと言います。六三の問題は、外に本当に強い敵がいることだけではありません。自分の中心に主がなく、喜怒哀楽が外境に牽かれることです。少し進もうとして鼓し、また止まり、泣き、歌う。行動が心に従わず、心も信に定まっていません。
占例では、ある友人が県に任じており、一級昇進の話を聞いたが、自分の才力では任に堪えないと感じ、むしろ原職に留まりたいと高島に占を求めました。この爻を得ました。高島は、進退無常、哀楽不定の象があり、昇進の喜びがあっても内には転折があり、人がその間を弄ぶだろうと読みました。異動するより原職を守る方がよいと断じました。
実際の読み方
時運は顛倒反復です。経営は盈ったり虧けたりし、主謀が定まりません。功名は升降無常。戦いは強敵を前にして勝ちにくい。
婚姻は反復して成りにくい。家宅は気が安定しません。病は軽くなったり重くなったりします。行人は帰ろうとしてまた止まります。この爻の要点は、まず心を定め、その後で事を定めることです。
四爻
一言で読む
満ちる直前ほど私党を離れ、公に従えば、損に見えても咎はありません。
現代語訳
月が望に近いです。馬の匹を失います。咎はありません。つまり、満ちる直前に同類や相棒を失っても、咎はない、という字面です。
月が望に近いとは、月が満ちようとしてまだ満ち切っていないことです。事は成功に近く、光華もまさに盛んになろうとしています。六四は九五に近く、月が太陽の光を受けて明るくなるように、上位の光を承けることができます。これは正しい相孚です。
「馬匹亡う」は表面では損失のようですが、高島は「類を絶ちて上る」と解します。匹は同類、仲間です。四爻が上の五を承けるには、下の私的な同類を断ち、狭い仲間意識に引かれないことが必要です。月が満ちかける時は驕満を恐れ、企てが成りかける時は私党の害を恐れます。合わない仲間を捨てることが、かえって大過を免れます。
占例では、ある縉紳が謀事を問うて、中孚の六四が履に変じました。高島は、月の象は時に乗じて満ちようとすること、馬の象は速く奔ることを示し、謀事は望日前に成るだろうと読みました。ただし同じ謀りに参加する朋友の中には、性情の合う者も、意気の合わない者もいる。合わない者は辞退してもらい、事を敗らせないようにすべきだと断じました。
実際の読み方
時運は全盛に向かいます。保泰持盈、つまり満ちる時ほど慎み、私を去って公に従います。経営は財利が豊かで、謀事は速く有利です。功名は春風得意の象があります。
戦いは月夜に進むことに利があり、隊伍を整えれば勝てます。婚姻は願いは豊かでも、匹亡により縁が薄いことも防ぎます。家宅は陰気が盛りすぎるため慎みます。成功が近いほど、私的な仲間関係と私心を整理します。
五爻
一言で読む
中心から本物の信頼が生まれれば、上下も仲間も自然に固くまとまります。
現代語訳
孚があって攣如としています。咎はありません。つまり、真実の信があって固く結ばれていれば咎はない、という字面です。
攣如とは、牽き連なって離れず、固く結ばれている様子です。九五は中孚の主で、位置が正しく、中心から真誠を発することができます。それは九二を牽き、臣民や邦国をも牽きます。
高島は、巽には縄の象があり、艮には手の象があるので攣となると説きます。五は君位、二は臣位です。二と五が相感するのは、上下が一心となることです。信がここまで至れば、一人だけが信じられるのではありません。臣も信じられ、民も信じられ、国家も信じられるようになります。彖伝の「孚乃ち邦を化す」に合います。
占例では、ある縉紳が婚姻を問うて、中孚の九五が損に変じました。高島は、卦象は至誠が感孚することで、心と心が印し合う形だと読みました。五爻の攣如は、両家の情意が固く結ばれて解けないことを示します。この縁組は自然に夫唱婦随となり、九五は貴い爻なので、多く名門の家であり、大いに喜びがあると断じました。
実際の読み方
時運は求めることの多くが心にかないます。経営は同心協力、共同経営で利を得ます。功名は求めれば成ります。戦いは軍心が団結し、力を合わせて勝てます。
婚姻は二人が同心し、百年好合の慶びがあります。家宅は一家和楽です。病は手足が引きつる症などを見ることがありますが、病を持ちながら長く保つこともあります。大切なのは、片方だけが引くのではなく、互いに真であることです。
上爻
一言で読む
声だけ高く天まで届くようでも、実徳が伴わなければ正しく続けても凶です。
現代語訳
翰音が天に登ります。正しくても凶です。つまり、声だけが高く上がって実がなければ、正しいつもりでも凶、という字面です。
翰音は、鶏が羽を振るって鳴く声です。鶏は時に合わせて朝を告げるので信があります。しかし鶏は微物であり、どれほど高く鳴いても本当に天へ飛び上がることはできません。人に用いれば、名声は大きいのに実際の徳行が足りず、虚声によって自らを高くする姿です。長く続けば凶です。
中孚が上爻まで来ると、すでに極に至っています。真の信が狭い忠義や小さな信義に変わり、誠意が好名の心に変わると、外の声が大きいほど内は空になります。行っていることの一部が正しくても、虚名で自分を飾れば長く続きません。象伝が「何ぞ長かるべけんや」と言うのはこのためです。
占例では、ある人が「天爵大神」と自称し、自分は道路を修め行人を利するために奔走し、大臣にも称賛されたとしてこの号を名乗り、さらに橋を架ける募金を勧めに来ました。高島は中孚の上爻を得て、その道路修繕の公益そのものは不正ではないが、好名の心が重すぎると断じました。有限の労力で奇異な大名を得ようとしている。水に源がなければ涸れ、木に根がなければ枯れます。名があって実がなければ、どうして敗れないことがあろうか。身を慎み、名を晦ませれば害を免れると勧めました。
実際の読み方
時運は声勢が盛んでも虚で実がなく、危へ転じます。経営は場面が大きく宣伝も響きますが、内容が足りず長く続きません。功名は虚名を盗む形で、君子の恥です。
婚姻は長く添い遂げにくい。家宅は家業を保ちにくい象があります。病は肝風の痛みや、呼号して安らかでない象があり、凶に近い。訴訟は上に訴えることがあります。名声を徳行より先に走らせてはいけません。
風沢中孚:読みの覚え
風沢中孚は、内から出る本当の信の卦です。心の中が空き、実があり、言葉と行いが一致する時、微かなものにも届きます。
内が真実であるか
中孚では、外に響く前に内が真実かを見ます。信は声の大きさではなく、心の中に剛実があり、外へ柔らかく通ることです。
言葉と行いが一致する時、微かなものにも届きます。だからこそ、重い判断は急がず、よく議して命を重んじます。
立てておきたい問い
- 私の言葉は、内心と一致していますか。 - 信頼を得ようとして、声だけ高くしていませんか。 - 裁く前に、十分に議して命を重んじていますか。
隠し事を減らす
信頼関係、契約、訴訟、教育では、隠し事を減らします。真実を重んじるからこそ、重い判断は急がず、よく議してから決めます。
あわせて読む
沢山咸は響き合い、風沢中孚は内なる誠が響く卦です。水地比と読むと、親しさが信に根ざしているか確かめられます。
本卦の問い
私の言葉は、内心と一致していますか。
一致していなければ、声を大きくしても信にはなりません。自分の言葉、約束、態度、記録が同じ方向を向いているかを見ます。
信頼を得ようとして、声だけ高くしていませんか。
信頼は音量で作れません。強い言葉より、時間、証拠、一貫した行動が中孚の信を作ります。
裁く前に、十分に議して命を重んじていますか。
中孚は、真実を重んじるからこそ判断を急ぎません。命や人生に関わることでは、十分に議し、軽い断定を避けます。
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