高島易断
離為火|意味・卦辞爻辞解説
離為火䷝:一言で読む 離為火は、光明の卦であり、何かに附く卦です。火は薪や灯油に附いて明るくなり、人の才知も正しいものに附いて初めて人を照らします。 現代語訳 離は上下とも離です。離はここでは単に離れることではなく、麗、つまり附くことです。火そのものには気があっても固定した形はありません。薪、灯油、器物に附いて、初めて炎と光が現れます。人の心、才華、名声、権力も同じです。正当な事に附いてこそ、人を照らします。虚名や私欲に附けば、人を焼き、自分も焼きます。
導入
一言で読む
離為火は、光明の卦であり、何かに附く卦です。火は薪や灯油に附いて明るくなり、人の才知も正しいものに附いて初めて人を照らします。
現代語訳
離は上下とも離です。離はここでは単に離れることではなく、麗、つまり附くことです。火そのものには気があっても固定した形はありません。薪、灯油、器物に附いて、初めて炎と光が現れます。人の心、才華、名声、権力も同じです。正当な事に附いてこそ、人を照らします。虚名や私欲に附けば、人を焼き、自分も焼きます。
高島は、水は始まりを資け、火は生を資けると言います。水は気を化し、火は形を成します。一つの火星は万の炬火へ分かれ、一つの心は万事に応じられます。要は、ただ明るければよいのではありません。中央が虚で、明らかで、柔でなければならない。離卦の中爻は陰で、火炎の中が虚であるようであり、人心が空明であるようでもあります。心が私欲で塞がれば、かえって明を失います。
卦辞は「離、利貞、亨。牝牛を畜えば吉」と言います。離はまず正を守ることに利があり、その後に亨ります。牝牛を畜うように、柔順で、生養し、持続する力が吉を生みます。離の光明は、見せびらかす光でも、刃のような鋭さでもありません。正道に柔順に附き、安定した力を育てる光です。
実際の読み方
離を得たら、自分が何に附いているかを見ます。正道、規則、徳行、専門、信頼できる関係に附けば、光は長く続きます。虚名、情緒、私欲、短期利益に附けば、明るくなるほど危険です。
離は公開、文明、教育、礼法、照察に向きます。同時に、火災、焦り、過熱、急な爆発、感情の炎を防ぐ卦でもあります。
卦辞
一言で読む
明るさは正しいものに附いて初めて通り、柔順に養われてこそ吉になります。
現代語訳
正しく守ることが利で、通ります。牝牛を養えば吉です。つまり、離の光はまず正に附き、柔順で生み養う力を育てれば吉、という字面です。この順序が大切です。他の卦では亨、利、貞の順に言うことが多いのに、離では先に利貞を言い、その後に亨を言います。離は外が剛明で、内が柔虚です。方向を先に正さなければ、外の明るさは、見せびらかし、偏執、急躁になりやすい。正を守ってから、初めて本当に通じます。
畜牝牛は、何気ない譬えではありません。坤は牛であり、離は坤の柔中から変じたものなので牛の象を取ります。牝牛は母牛で、性情は柔順であり、また生み養います。離卦は二つの陽が一つの陰を包みます。剛明が柔順を保護し、その柔が偏邪に流れないようにする形です。火が剛すぎれば暴れます。明が硬すぎれば人を傷つけます。だから離は、光明を柔らかく、持続し、生養するものとして育てることを求めます。
これは人の聡明にも言えます。聡明な人が、ただ人を責め、圧し、誇るだけなら、烈火が乱れ焼くようなものです。正を守り、柔順に人を照らし、養うなら、灯火が道を照らし、竈火が食を熟すように、人に欠かせない明になります。
実際の読み方
事業では、露出や熱度より先に、依って立つ規則と価値が正しいかを見ます。感情では、熱烈さのほかに、順承と滋養が必要です。名声では、正しさが先で、明るさが後です。管理では、剛明でありながら柔和を包み、制度が人を養う形にします。
離は、燃えればよいという卦ではありません。照らし、養い、長く続く光を求めます。
彖伝
一言で読む
明はそれだけで善ではなく、正しい根に附いて上下が照らし合う時に天下を化成します。
現代語訳
離は附くことです。日月は天に附き、百穀草木は土に附きます。重なる明が正に附くことで、天下を教化し成します。つまり、明るさは何かに附いて働くもので、正に附く時だけ人を育てる、という字面です。日月は天に懸かるから日月の明となります。百穀草木は土に根づくから生長します。人の聡明、国家の政教も、正道に附いて初めて天下を教化できます。
重明とは、上下二つの離が重なることです。二つの太陽が争うという意味ではありません。光明が相継ぎ、上下が照らし合うことです。高島は特に二爻と五爻を重んじます。六二は柔で中正、六五は尊位にいて憂惧を知ります。上下が応じ、君臣が心を同じくし、朝野が志を合わせる。光明は一人の眼にだけあるのではなく、上下が接し、内外が通じる秩序の中にあります。
人事では、離は心であり、目でもあります。心が虚なので明らかです。目に麗けば見ること、耳に麗けば聞くこと、口に麗けば飲食と言語、身に麗けば進退周旋になります。問題は、心が何に附くかです。道義に附けば正しく、欲望に附けば邪になります。徳行に附けば中を得て、私利に附けば偏ります。中正であれば通じ、邪偏であれば塞がります。
国家で見れば、上卦は政府、下卦は人民です。火は炎上し、威徳は上から出ます。離にはまた孕育の象があり、人民はその養いを受けます。政令も刑罰も正に麗く必要があります。政令が正しければ百姓は教化され、刑罰が偏れば怨みが増えます。牛を牧することと民を牧することは通じます。本当の治理は、人を焼き伏せることではなく、柔順、生息、秩序を養い出すことです。
実際の読み方
この卦を「自分は明るく賢い」と読むと誤ります。本当の明は、自分が何に附いているかを知り、人が何によって養われるかを知ることです。
リーダーなら制度を正に附けます。学問なら聡明を理に附けます。人としては、表現を徳に附けます。離の光は、正を離れるほど明るく見えても乱れます。
象伝
一言で読む
一度まぶしく光るより、正しい明を継ぎ続けて四方を照らすことが離の仕事です。
現代語訳
明るさが二度重なって起こるのが離です。大人はこれを見て、明を継ぎ、四方を照らします。つまり、光明は一度だけでなく、継続して広く照らすべきだ、という字面です。上下二つの離は、光明が前後に相継ぐ象です。日月の明は一度だけ爆ぜる光ではなく、日々運行します。徳位と判断力のある人も同じように、明徳、明政、明察を継続し、四方を照らすべきです。
高島は、ここで日を直接言わず明と言うのは、天に二日がないからだと見ます。重離が取るのは、二つの太陽が争うことではなく、内外二層の光明が続くことです。この明は、忠邪を弁え、百姓の疾苦を知り、幽微隠蔽の所まで照らし、しかも久しく続くものでなければなりません。
継明は、大学の明明徳にも通じ、日日新にも通じます。今日だけ明るいのでは足りません。明日も明らかでなければなりません。一時の熱情は離の明ではありません。教育、制度、判断、徳行が世代を越えて続く時、四方を照らす明になります。
実際の読み方
管理では、照察の仕組みを継続して作ります。一度の運動だけに頼りません。家庭では、明らかな家風と規矩を伝えます。学習では、たまに頑張るのではなく、日々更新します。指導者にとって、光明とは人に仰がせることではなく、四方の問題を見えるようにし、世話できるようにすることです。
占断
一言で読む
離を得た時は、物事が顕れ、判断が明らかになりやすい時です。文明、火、電気、文書、名誉に利がありますが、過熱と火患を防ぎます。
現代語訳
高島の総占では、戦いは攻める側が火攻めを用いることができ、守る側も火攻めを防ぐ必要があります。明両作には、前後で同時に火が起こる象があり、備えなければなりません。経営では、火に近い業、硫黄や鉱物、電火、火柴などが利を得ます。現代なら、照明、エネルギー、電力、電子、通信、教育、映像、公開展示など、光と明に関わる業にも通じます。
功名では、離は目であり、榜眼の象もあります。名次が顕れ、文采が見られることです。家宅は新造の家で、前後が通り、窓が明るく、四周が開けた富貴の明堂の象があります。婚姻は、多くは初婚の相手ではなく、後妻や再縁のような意味があり、相手の家世も普通ではないことがあります。妊産は女を主に見ます。病は熱勢の過重を防ぎ、一、二日のうちに神気が離散すれば非常に危うい。
離の利点は、隠れたものを照らし、方向を見えるようにすることです。危険は、急すぎる、熱すぎる、外の認可を求めすぎることです。火は食を煮て暖を取り、人を助けますが、家を焼き身を傷めることもあります。聡明も人を啓発できますが、人を傷つけ自分を傷つけることがあります。
実際の読み方
事業では、透明化、ブランド化、教育化に向きます。ただし明るく見せるために根を犠牲にしてはいけません。健康では、発熱、炎症、心神不寧、眼の問題を重んじます。関係では、熱情に依る所を持たせ、急に熱く急に冷たくならないようにします。リスクでは、火、電気、爆発的衝突、公開の世論に注意します。
初爻
一言で読む
光の場に入り足取りが乱れる初めほど、敬んで心を収めれば咎はありません。
現代語訳
歩みが入り乱れています。これを敬めば咎はありません。つまり、明るさの中で物事が交錯する初めは、慎んで歩けば過ちはない、という字面です。履は歩み、実際に踏み行うことです。錯然とは足取りや物事が入り交じることです。初九は離卦の始めで、夜が明けたばかりのように、さまざまな人情、仕事、情報が一度に来ます。眼前の光と色に乱されやすい時です。
高島は、これを事を謀る初めに譬えます。人が局に入ったばかりの時、心には光がありますが、経験はまだ深くありません。敬慎がなければ、一歩動くごとに一歩誤ります。履卦では虎尾を履み、危険を恐れることを知ります。離の初九では、錯然とした道を歩みながら敬むことを知ります。敬があるから過失を避けられます。
友人が気運を占い、離が旅に変じた時、高島は、火の用は非常に大きく、照明、暖、調理に役立ち、人世に一日も欠かせないが、火の禍も烈しいと読みました。とくに燃え始めの時が最も注意を要します。初爻は九四と応じ、始めに慎まなければ、後に四爻の「突如其来」の火災のような大禍になり得る。三年後は特に注意し、四年目に転吉すると告げました。
実際の読み方
戦いでは軍が動き始め、旗鼓が交錯する時です。臨事に恐れ、側路から進むこともあります。商業では新事業で、南北往来の売買に関わることがあり、すぐ大利はありませんが、慎めば大過を免れます。功名は外力を得て成ることがあります。家宅は大道のそばが吉。妊産は女を主に見ます。
二爻
一言で読む
偏らない柔らかな明が中央にある時、人を傷つけず養うので大吉です。
現代語訳
黄色い離です。大いに吉です。つまり、中央の色のように偏らない明を保つなら大吉、という字面です。黄は中央の色であり、離は文明です。六二は柔で柔位に居り、下卦の中を得ています。離卦の「柔、中正に麗く」の主となる爻です。これは刺すような白光でも、偏激な烈火でもありません。中に居り、温厚で、正当な明です。
高島は、離卦六爻の中で六二が最も中を得ると言います。外には二陽の護りがあり、中の一陰は柔順です。明らかであって亢らず、柔らかくて邪に流れません。だから大吉です。黄には土地、中央、養育の意味もあり、この光は地に足がつき、人を養います。空中で一瞬光るものではありません。
ある人が貴顕について問うて、離が大有に変じた例があります。高島は、離は火であり日であり、万物を温め、枯れたものを生き返らせる象があると読みました。六二は六五と応じ、至尊を輔け、君臣の徳が合う形です。黄は中央に属し、この貴顕は中道を握り、国家を治め、文明を開く人なので、爻辞が大吉と言うのだとしました。
実際の読み方
戦いでは大有に変じ、大車が物を載せ、中営に糧が足り、軍心が勇健で勝てる象です。経営では南方に利があり、土地、木材、建築など土木相生の業にも利があります。功名では離が午位で、上に文昌へ応じ、文名が顕れます。家宅ではよい子弟が家門を振興します。婚姻は夫婦が相順う佳偶です。病は中焦の内熱鬱結が多く、清涼に調えます。妊産は女を主に見ます。
三爻
一言で読む
明が傾く時に楽しみも嘆きも節を失えば、にぎわいは凶へ変わります。
現代語訳
日が西に傾いた離です。缶を打って歌わなければ、老いを嘆く大きなため息があり、凶です。つまり、明が衰え始める時に喜びや嘆きの節を失えば凶、という字面です。日昃は日が西へ傾くことです。缶は腹が大きく口が小さい瓦器で、離の中虚に似ています。缶を鼓って歌うとは、感情を節ある形で安んじることです。鼓たずに歌えば節のない楽しみになります。大耋の嗟は、老年でもないのに老衰の嘆きを先取りすることです。
九三は下卦の終わりで、明が暗へ移ろうとする位置です。最も恐れるのは、時位の変化を受け入れられないことです。盛りから衰えへ移る時に、なお熱鬧へ沈むか、急に悲観して老いを嘆くか、どちらも節を失っています。離卦は喜びを禁じるのでも、憂いを禁じるのでもありません。いつ歌い、いつ止まり、いつ備えるかを知ることを求めます。
友人がある女性との婚姻を問うて、離が噬嗑に変じた例があります。高島は、日昃の離には婚後にまた離散する象があると読みました。鼓たずに歌うのは真の安楽ではなく、かえって生離を主る。大耋の嗟は偕老できない嘆きです。後に不信のまま婚姻しましたが、まもなく家門不和で離散しました。また日本とフランスの交際では、離を甲、刀、矢、火砲と見て、兵甲を時に応じて修備すべきで、安逸に歌うべきでも、自ら衰弱を示すべきでもないと読みました。
実際の読み方
戦いでは日暮れに近く、軍中の歌や嘆きが規律を乱し、夜襲に注意します。経営では市場が終わりに近く、人声が乱れ、喜憂の過度が正業を傷めます。功名は年を重ねて成らず、ただ嘆くことを戒めます。婚姻は偕老を望みにくい。妊産は女を主とし、養いにくいことがあります。
四爻
一言で読む
火勢が突然噴き上がる時は、焼き、身を害し、名を失うほどの暴発を防ぎます。
現代語訳
突然それが来ます。焼けるようで、死ぬようで、捨てられるようです。つまり、火や怒りや権勢が急に暴発し、身も名も傷つける、という字面です。九四は離卦の中でも最も激しい爻です。上下二つの火の間にあり、下の火は尽きようとし、上の火は燃え上がろうとします。火炎は上へ向かい、勢いは急です。突如其来は、突然来て防ぎようがないことです。焚如は家を焼くようであり、死如は身を害するようであり、棄如は名誉や身の置き場を失うようです。
これは火災だけではありません。怒りの暴発、世論の暴発、親族の内乱、経営の失控、権勢の過盛による災いなど、急に燃え上がる禍を示します。九四は陽剛で中を得ず、明るさが急で、長く保つとは限りません。手に入りそうに見えるものほど、その後の代価を考える必要があります。
明治二十三年春、友人がその年の気運を占い、九四を得ました。高島は、九四は二火の間にあり、離卦で最も凶で、陰険邪僻の人が中で扇動する恐れがあると読みました。初めに気づかなければ、火勢が盛んになった時、家内に禍が及ぶだけでなく、自身の肌膚と名誉まで傷つく。友人は柔弱で深く受け止めず、親族の少年を任用しましたが、後にその少年が妄作を重ね、家産を敗り、悔悟しても遅すぎました。
実際の読み方
戦いでは営塁が焼かれ、銃砲の暴烈な禍に注意します。来勢は非常に急です。経営では人財をともに失う恐れがあり、退いて身を保つのがよい。功名は名位がすぐ手に入りそうでも、顕れるほど災いを招くので、退くことを知ります。家宅では逆子、不孝の子が乱を起こすことに注意します。婚姻は大いに不吉。妊産は女を主とし、養いにくいことがあります。
五爻
一言で読む
高い位置で涙と嘆きを知る人は、危険を先に憂えるのでかえって吉です。
現代語訳
涙が流れるように出ます。憂えて嘆くようです。吉です。つまり、高い位置にあって先に危うさを憂えれば、悲嘆は弱さでなく吉になる、という字面です。涕は涙、嗟は嘆きです。離は目なので涙の象があり、互卦の兌は口なので嗟嘆の象があります。六五は尊位で、上卦の中にあります。本来なら光明顕赫の位置ですが、ここでは憂い、恐れ、悲嘆します。これは衰弱ではありません。
九三にも嘆きがあり、凶でした。六五にも涙と嘆きがあり、吉です。違いは、九三は時位が衰え、喜憂の節を失った乱れです。六五は高位にいながら、盛を憂い危を防ぐ目覚めです。一つは乱れ、一つは醒めです。高島は、天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに後れて楽しむという意味を引きます。責任ある人ほど、明るい場所で先に汗と涙を流すべきなのです。
高島がある豪商の時運を占い、離が同人に変じた例があります。五は尊位で、国なら君、家なら主、郷里なら望みのある人です。爻辞の涙と嘆きは、事の先に謀り、危を防ぎ盛を慮り、百計を尽くすことを示します。来占者は平日から艱苦を尽くし、このような継明察事の力があるから、家業を守り、親族の少年に欺かれずに済む。だから吉と読みました。
実際の読み方
戦いでは、事に臨んで恐れることができれば謀ることができ、謀れば勝ちを制することができます。経営では、公家、王家、公共事業のような大きな事で、小民の私計ではなく、辛苦艱難の末に成ります。功名は宰輔の高位に至ることがありますが、憂労は非常に重く、諸葛武侯のように身を尽くす象です。婚姻は門第が貴く、初めに憂哭があって後に喜びへ転じます。妊産は女を主とし、難産を防げば終に吉です。
上爻
一言で読む
悪を討つ時も、首悪を折り、脅されて従った者まで濫罰しない明が必要です。
現代語訳
王が出征に用います。嘉すべきことがあり、首を折ります。捕えるのはその同類ではありません。咎はありません。つまり、悪を討つ時は首悪を正し、随従者を濫りに罰しなければ過ちはない、という字面です。王は六五で、実際に出征を行うのは上九です。離には兵戈の象があるので出征と言います。首は首悪、魁首です。丑はその同類、脅されて従った者たちです。本当に嘉すべきことは、首悪を折服することであり、随従者を一概に殺し尽くすことではありません。
この爻は好戦を勧めているのではありません。教化がすでに明らかに天下を照らしても、なお頑迷で民を害する者がいるなら、兵を用いざるを得ないということです。しかし王者の師は、国を正し民を安んずるためであって、殺しを好むためではありません。首悪を除き、脅従を赦す。処罰は精確で、範囲を広げすぎない。これが離卦の光明の道です。
明治七年三月の佐賀の乱で、朝廷が出師征討しようとした時、ある軍官が占を求め、離が豊に変じました。高島は、爻辞の王用出征がまさに事に合うと読みました。乱党には必ず主謀があり、これが魁首で、罪は赦せません。一時応じた者の多くは脅従で、丑類です。朝廷が天下に布告し、倡乱の首悪だけを取り、脅従を濫りに問わず、渠魁を捕えた者を賞するなら、「有嘉折首、獲匪其丑」に合います。後に一か月足らずで首悪は誅され、佐賀は平定されました。
実際の読み方
戦いでは、師出に名分があり、精確に首悪を討ち、濫殺してはいけません。経営では上等の佳品を取り、劣った貨を捨てれば利があります。功名は首選、第一等の象があります。病では折に夭折の意味があり、不利を見ることがあります。妊産は女を主に見ます。管理や法務では、主責を押さえ、関係者を一律に倒さないことです。
離為火:読みの覚え
離為火は、明るさと附くことの卦です。火が薪に附いて燃えるように、知性も正しい依り所に附いて人を照らします。
明るさは、何かに附いて燃える
離の明は、それだけで善ではありません。何に附くか、どう明を継ぐかによって、照らす力にも焼く力にもなります。
見えることは力ですが、見えすぎることも人を傷つけます。明らかな時ほど、過熱、断罪、名誉への執着を慎みます。
立てておきたい問い
- 私の明るさは、何に支えられていますか。 - 見えすぎることで、人を傷つけていませんか。 - 一度の輝きではなく、継ぎ続ける明を持っていますか。
照らす力を慎む
文書、名誉、発表、技術、火や電気に関わることでは、明るさの扱いを慎みます。判断が明らかな時ほど、過熱と濫罰を避けます。
あわせて読む
山火賁は明るさに形を与える卦で、離為火は明そのものの依り所を問います。地火明夷と読むと、明を出す時と隠す時の違いが見えてきます。
本卦の問い
私の明るさは、何に支えられていますか。
知識、制度、師、共同体、身体の状態など、明るさを支える薪を見ます。依り所が弱い明は、長く燃えません。
見えすぎることで、人を傷つけていませんか。
正しい指摘でも、出し方を誤れば焼く力になります。離では、何を照らすかだけでなく、どれくらいの熱で照らすかを見ます。
一度の輝きではなく、継ぎ続ける明を持っていますか。
一度の発表や成功より、明を継ぐ仕組みが大切です。学び、記録、後継、点検があって、火は続きます。
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