高島易断
雷地豫|意味・卦辞爻辞解説
雷地豫䷏:一言で読む 雷地豫は、順に乗って動き、人心を奮い立たせ、あらかじめ備える卦です。喜びは事を成しますが、同時に人を酔わせて誤らせます。 現代語訳 豫は上が震雷、下が坤地です。雷が地中から奮い出て、陽気が動き、万物が伸び、人の心も振り起こされます。豫には、安らか、喜び、予備、順に動く、という意味があります。高島は、下の坤が順に承け、上の震が動くため、外は伸び広がり、内はもう圧し閉じられていないので豫と名づけると説きます。
導入
一言で読む
雷地豫は、順に乗って動き、人心を奮い立たせ、あらかじめ備える卦です。喜びは事を成しますが、同時に人を酔わせて誤らせます。
現代語訳
豫は上が震雷、下が坤地です。雷が地中から奮い出て、陽気が動き、万物が伸び、人の心も振り起こされます。豫には、安らか、喜び、予備、順に動く、という意味があります。高島は、下の坤が順に承け、上の震が動くため、外は伸び広がり、内はもう圧し閉じられていないので豫と名づけると説きます。
この卦は謙の後に来ます。大有の後に謙であれば、心気は安和し、人々は悦服します。そこから豫が生まれます。ただし、豫は単なる快楽ではありません。人心が動こうとし、時機も来ているので、侯を立て、組織を作り、軍を動かし、大事を始めることができます。一方で、少し喜んだだけで誇る、安楽に沈む、権勢に寄りかかる、熱気だけで判断を失うなら、豫は凶へ転じます。
実際の読み方
仕事では、計画発表、チーム立ち上げ、組織化、動員、キャンペーン、開業、改革の始動に関わります。人々がついて来る空気がありますが、先に名分と規律を整えます。家庭や会社では、喜ばしい変化の前に準備を置きます。競争や戦いでは、雷のように速く動けますが、順理と規律が前提です。
豫を得た時は、今の熱気が正しい時に合っているかを問います。順にして動いているか、ただ声が大きいだけか。喜びが判断を助けているか、判断の代わりになっていないか。豫の吉凶はここで分かれます。
卦辞
一言で読む
喜びの勢いが人心に合う時は、名分を立てて組織を動かせます。
現代語訳
豫は、侯を立て、軍を進めるのに利があります。つまり、人心が順い、動く時機が来ているなら、組織を立て、大衆を動かせる、という字面です。坤は国、震は侯なので、侯を立てるに利があります。坤は衆であり業であり、震は行動なので、軍を行うに利があります。高島は、動かなければ威がなく、順わなければ利がないと説きます。順にして動くから、君が立てば民が順い、師が出れば功があります。
豫の動きは、乱動でも強制でもありません。組織に名分があり、行動に規律があり、人心がついて来る時、初めて大事を動かせます。喜びの気分だけで人を集めても、すぐ散ります。あらかじめ整え、正しい時に鳴らす雷だから人が動くのです。
実際の読み方
事業では、チームを立て、計画を公表し、プロジェクトを始める時です。管理では、人心が順うように目的、利益、手順、責任を先に通します。競争では、速やかで力強い行動ができますが、無規律は禁物です。家庭や会社の変動では、喜びに任せず先に段取りをします。
豫には二面があります。よい面は鼓舞、準備、順勢、動員です。悪い面は逸楽、誇張、依存、のめり込みです。熱気の大きさではなく、その動きが理に順い、時に順い、人心に順うかで吉凶を見ます。
彖伝
一言で読む
豫の力は大声ではなく、正しい時と順理に合わせて動くところから生まれます。
現代語訳
剛が応じられて志が行われ、順に動く、これが豫です。豫は順に動くので天地もこれと同じです。まして侯を立て軍を行うことなら、なおさらです。天地は順に動くので日月は過たず四季は乱れず、聖人は順に動くので刑罰は清く民は服します。豫の時の意義は大きいのです。つまり、豫の吉は勢いの強さではなく、時と道理に順って動くことにある、という字面です。
九四の一陽が全卦の発動の主となり、五つの陰がこれに応じます。だから剛が応を得て、志が行われます。高島は、「順以動」は卦象から自然の理を言い、「以順動」は人事でどう用いるかを言うと見ます。雷は時を得れば春を開き、万物を舒ばします。時を得なければ、ただ驚かすだけです。
実際の読み方
行動の時機を問うなら、早すぎても遅すぎてもいけません。早すぎれば妄動、遅すぎれば失機です。逆理に動けば心は疲れ、事は難しくなります。順勢に動けば、力をむやみに使わず進めます。
リーダーなら、願景、制度、人心を先に通してから押します。個人なら、方向と時機を確かめてから熱情を注ぎます。豫の時に問うべきは、今本当に動く時か、動いた後に人々は心から順うのか、ただ音に震えているだけではないか、です。
象伝
一言で読む
人を奮い立たせる音楽や儀式は、ただ盛り上げるためでなく徳と秩序に向けて使います。
現代語訳
雷が地から出て奮うのが豫です。先王はこれを見て音楽を作り、徳を崇め、盛大に上帝へ薦め、祖先を配して祭りました。つまり、人の心を奮い立たせる音や儀式は、徳を明らかにし、天と祖先に通じ、秩序を和らげるために用いる、という字面です。雷声が地中から発し、陽気がのびやかに通ると、天地の和を鼓舞します。古の先王はこの象を取り、音楽を作りました。しかしそれは単なる娯楽ではありません。
高島は、楽は近くは家門に聞こえ、遠くは邦国に達し、明らかな所では人事に働き、幽かな所では鬼神に通じると見ます。よい音と儀式は、散った人心を合わせます。悪い音と娯楽は、人を昏迷へ連れて行きます。
実際の読み方
現代では、豫は式典、発表会、軍令、社内集会、チームの願景、校歌、企業文化、祭り、イベント、宣伝に関わります。これらは人を動かす力があります。しかし、徳を崇めるものか、単に気分をあおるものかを見ます。
組織の士気を上げるなら、何のために熱くなるのかを明らかにします。楽しい雰囲気は大事ですが、判断力を奪ってはいけません。豫の象は、熱情を何に奉仕させるかを問います。
占断
一言で読む
豫を得た時は、機会の発動、人心の高揚、計画の始動、声勢の上昇を読みます。ただし、早く得意になりすぎること、権勢への依存、快楽への耽溺を防ぎます。
現代語訳
高島の占断では、時運は春雷が動くように時機を得て万事吉です。商業では新貨が初めて到り、市価が飛騰する絶好機で大利があります。家宅は変動に注意し、神に礼し祖先を祭って安を求めます。病には祈祷と調養を用いることがあります。戦いでは雷のように速く、必勝の兆し。功名は平地の一声の雷のように、近く昇進する象があります。失物は自然に現れます。妊産は男を主に見ます。
六爻は豫の危険と正用を示します。初六は少し喜んだだけで自ら鳴り、凶。六二は石のように守り、機を見ればその日のうちに離れ、貞吉。六三は上を仰いで権勢に依り、遅れれば悔い。九四は豫の中心で、大いに得るが疑いを去る必要があります。六五は尊位にいて強臣に制される慢性病。上六は冥豫、快楽に沈みますが、変われば無咎です。
実際の読み方
創業や新企画では、始める時ですが、準備と規律を置きます。宣伝や販売では声勢が上がりますが、空騒ぎにしません。投資では機会が速く来ますが、貪りに注意します。昇進や発見されることを問えば、突然見られる象があります。感情では、喜びは行動を助けますが、判断の代わりにはなりません。
豫の要は、熱に乗りながら熱に呑まれないことです。喜びを徳と行動へ向ければ吉、快楽と誇りへ向ければ凶です。
初爻
一言で読む
喜び始めた途端に自分から誇る人は、まだ早い得意で運を損ないます。
現代語訳
喜びを鳴らします。凶です。つまり、少し得ただけで自分から喜びを声に出して誇れば凶、という字面です。初六は陰柔で最下にありながら、九四と応じます。小人が権勢ある人の愛顧を頼み、心で得意になり、口にも出してしまう象です。高島は、謙の上六の「鳴謙」は人がその徳を称えるから吉だが、豫の初六の「鳴豫」は自分の喜びを自分で誇るから凶だと見ます。
志が少し満ちただけで終わりまで来てしまう。これでは後の道が窮まります。豫の最初の危険は、喜びそのものではなく、早すぎる自慢です。
実際の読み方
時運では、始まりは悪くなくても、一得して誇れば運を使い尽くします。商売では、初利を得ても貪らないこと。家宅では驚きや怪しい騒ぎに注意します。病には不利です。訴訟では、叫んでも直ちに理が通るとは限らず、むしろやめる方がよいことがあります。
横浜で客が占って初爻を得た時、高島は、貴顕の愛顧を頼み、権勢を借りて得意になっている象だと断じました。後に、その人が縁戚関係を利用して利益を求めていたことが分かりました。初六は、関係で得た喜びを誇示するほど危ないと教えます。
二爻
一言で読む
歓楽の場でも石のように節度を守り、危ういと見たらその日のうちに離れる人は吉です。
現代語訳
石のように堅く節度を守り、その日が終わる前に離れます。正しければ吉です。つまり、豫の楽しみの中でも堅く自分を守り、危ういと見たらすぐ退けば吉、という字面です。六二は中正で、九四と応じず比しません。だから独立して自ら守り、豫の楽しみに流されません。「介于石」は節操が堅いこと、「不終日」は機を見ることが速いことです。
高島は、人は安楽の中にいる時ほど恋々として離れにくいが、六二は豫楽を貪ってはいけないと知り、その日の終わりを待たず避けられると説きます。これは冷たい人ではありません。喜びに呑まれず、正しい距離を保てる人です。
実際の読み方
人品を問えば、品行が高く、世俗の浮沈に流されません。商売では、奸商や虚報に揺らされず、相場を見て決断すれば利があります。家宅では、主家者が厳正で、よくない往来をすぐ断つべきです。戦いでは、守る時は山のように守り、発する時は火のように発します。病では新しい病なら癒え、旧病なら終わりを見ることがあります。
ある官吏が、長年勤めても後進に抜かれ不平を抱き、辞職を迷った占で、高島は六二を得ました。彼は権勢に媚びず、石のように職務を守る人で、非分の事を避けるのも速い。今は薄遇でも後に昇進すると読み、後年その通りになりました。六二は、迎合しないことも長い運になると示します。
三爻
一言で読む
上の権勢を見上げて喜びに預かろうとすれば悔い、改めが遅いほど悔いは深まります。
現代語訳
上を仰いで豫に寄ります。悔いがあります。遅れれば、さらに悔いがあります。つまり、権勢ある上の人を見上げ、その喜びに寄りかかると悔いが生じ、改めが遅いほど悔いが深くなる、という字面です。盱は目を大きく開いて上を仰ぐことです。六三は不中不正で、九四の権勢を見上げ、そこへ寄りかかって自分の豫を保とうとします。九四は一卦の主で、多くの陰が帰るところです。
六三は自分の正位で立てず、窺い、仰ぎ、攀援するので軽んじられます。高島は「遅有悔」の一字を強い警告として見ます。すでに悔いを知ったなら、六二のようにすぐ離れるべきです。一念は悔い、一念はまた楽しみを捨てられない。この遅れが後悔を深くします。
実際の読み方
時運では、運が全くないのではなく、自分の動き方が正しくないため悔いを招きます。商売では、市況を覗くのはよいが、情報を得たら決断を遅らせません。家宅では盗みに注意し、速く警備します。失物は早く探せば得ますが、遅れれば難しくなります。訴訟は速く結ぶ方がよいです。
ある県官吏が長官と意気投合している時、高島は六三を得て、他人からは阿諛や権勢利用に見えやすいから注意せよと読みました。後に長官が転任し、その人は従えず辞職しました。六三は、権力に近づく姿勢は人から見られていると教えます。
四爻
一言で読む
人心が集まる中心に立つ時は、疑いを開いて誠を示せば仲間が一つにまとまります。
現代語訳
ここから豫が起こり、大いに得るものがあります。疑ってはいけません。仲間は簪で髪をまとめるように集まります。つまり、人心が集まる中心に立つ時は、疑いを去れば大きく得て、仲間も一つにまとまる、という字面です。九四は一陽で五陰を統べ、豫卦の主です。人々の豫は九四から起こるので由豫と言います。六五に近く、大臣の位置にあり、柔弱の君を承け、天下の重きを負い、諸柔を包み、独り倚任されます。だから大有得です。
しかし、任が重いほど疑いも起こりやすい。上が疑い、下が疑い、自分も疑えば、人心は散ります。誠を開き、上下が猜疑しなければ、朋友は一つの簪が髪を貫くように、まとまりながら乱れません。
実際の読み方
時運は大きく通ります。商業では、多くの貨物や人が集まり、大利を得ます。家宅は福と財を得ます。功名は昇進の喜びがあります。訴訟は罷めて双方が悦服することがあります。行人は満載して帰ります。出行は順風です。妊産は男で貴い象があります。失物はすぐ得ます。
ある貴顕の気運占で高島は九四を得て、春雷が地から出て積陰を払うように、讒を退け賢を進め太平を輔ける大臣の象と読みました。また日清和議の占でもこの爻を得て、疑いを減らし、和約は成ると断じました。九四は、熱気の中心にいる人ほど、疑いを晴らす誠が必要だと示します。
五爻
一言で読む
高位にいても実権を失い慢性的に病む状態ですが、中を保てばまだ倒れません。
現代語訳
正しさの中に病がありますが、長く死にません。つまり、正位にいても病むように自由が利かない状態だが、中を失っていないので、すぐには倒れない、という字面です。六五は柔中で尊位、本来は君の位置です。しかし九四の強い陽の上に乗っています。九四が権を得て人心が帰るため、六五は自由に豫を楽しめず、強臣に制されるような形になります。高島は、疾は豫の反対であり、古書に「王有疾、不豫」と言うのもこの意味だと説きます。
六五は権を失いかけていますが、中位はまだ亡びていません。だから「恒不死」です。しかし、長く病むことと安全であることは違います。まだ倒れていないだけで、仕組みは病んでいます。
実際の読み方
時運では、尊い位置にあっても柔弱で自ら奮えない状態です。商業では基業がよくても人任せが過ぎ、資金や権限が他人の手へ落ちて損耗します。家宅では、借居人や管理人が強く、家主が自主できない象です。戦いでは、副将が専権し、主将の威が落ちます。病では、病を抱えて長く生きる読みです。
ある富豪の占で高島は、旧い管理人が家政を支配し、主人は虚位にいるだけと読みました。また侍女の重病占では、精神はまだ奮い出るので死にはしないが、癒えても強健には戻らないと読みました。六五は、主人が主人でなくなった組織の慢性病を示します。
上爻
一言で読む
楽しみに深く沈んだ時でも、最後に本当に態度を変えられれば咎を免れます。
現代語訳
暗い豫です。すでに成ってしまっていても、変えられるなら咎はありません。つまり、楽しみに沈んで暗いところまで来ても、最後に本当に変わるなら過ちは免れる、という字面です。冥豫とは、逸楽に昏く沈み、誤りに気づかないことです。上六は豫の最上、最後にあり、快楽を縦にして暗い部屋へ入るような状態です。しかし上卦は震で、動けば変わります。変われば「渝」があります。
高島は、爻辞が冥の凶を責めるより、変われば無咎と言うところに深い意味を見ます。のめり込みは恐ろしい。しかし、心を変え、行いを変え、旧い快楽から離れられるなら、まだ正道へ戻れます。豫の最後の救いは、変化です。
実際の読み方
時運では、悪運が極まり、振作すれば好運が来ます。商業では、旧い計画を改め、新しい方針を立てれば利があります。家宅では、古い家に利がなく、移転や改造が吉です。戦いでは、主将を替え、旗色を改め、進路を変えるなどが必要です。訴訟は和解がよいです。妊産は月を過ぎて産むことがあります。
友人が商業の忙しさの中で、さらに別の機会に手を出そうとした時、高島は上六を得ました。妄想的に利を図り、その害を知らない冥豫だから、急いで心を改めれば免れると読みました。友人は旧業を守り、破産を避けました。上六は、のめり込んでいても、変われる最後の時を逃すなと教えます。
雷地豫:読みの覚え
雷地豫は、喜びと準備の卦です。人心が動く時は大きな行動も可能ですが、楽しさに酔うと判断が鈍ります。
喜びが人を動かす時
豫の力は、ただ盛り上がることではありません。順理と時機に合う喜びが、人を動かし、計画を始める力になります。
ただし、喜びは酔いにもなります。責任者は、音楽や儀式のような高揚を、もう一度秩序と徳へ戻す必要があります。
立てておきたい問い
- この高揚は、準備に支えられていますか。 - 人を動かす名分が、楽しさだけになっていませんか。 - 喜びの中で、危険な依存や慢心が育っていませんか。
高揚を準備へつなぐ
イベント、発表、組織の立ち上げでは、人心の勢いを使えます。ただし、楽しさだけを燃料にしないこと。計画、役割、後始末まで用意してこそ、豫の喜びは力になります。
あわせて読む
震為雷が驚きで目を覚ます卦なら、雷地豫は喜びで人を動かす卦です。沢地萃と読むと、集まった高揚をどう持続させるかが見えてきます。
本卦の問い
この高揚は、準備に支えられていますか。
準備のある高揚は、人を動かします。準備のない高揚は、その場の熱だけで終わり、後に疲れや混乱を残しやすいです。
人を動かす名分が、楽しさだけになっていませんか。
楽しさは入口になりますが、名分にはなりきれません。何のために集まり、何を始め、誰が責任を持つのかを明らかにします。
喜びの中で、危険な依存や慢心が育っていませんか。
拍手や一体感が強い時ほど、依存や慢心も育ちます。豫は喜びを否定しませんが、喜びに目を奪われすぎないよう求めます。
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