高島易断
火沢睽|意味・卦辞爻辞解説
火沢睽䷥:一言で読む 睽は、分かれ、反目し、互いに見誤る卦です。火は上へ、沢は下へ動き、方向は違います。ただし、永久に合わないのではなく、小さな所から通じます。 現代語訳 睽は上が離火、下が兌沢です。火は上へ炎え、沢は下へ潤します。一つは上へ、一つは下へ向かうので、方向が背きます。睽とは、離れ、そむき、目と目が合わないことです。古人が反目を睽と言うのも、関係が全くないのではなく、見方、向き、心が一時合っていないからです。
導入
一言で読む
睽は、分かれ、反目し、互いに見誤る卦です。火は上へ、沢は下へ動き、方向は違います。ただし、永久に合わないのではなく、小さな所から通じます。
現代語訳
睽は上が離火、下が兌沢です。火は上へ炎え、沢は下へ潤します。一つは上へ、一つは下へ向かうので、方向が背きます。睽とは、離れ、そむき、目と目が合わないことです。古人が反目を睽と言うのも、関係が全くないのではなく、見方、向き、心が一時合っていないからです。
高島は革と睽を比べます。沢が火の上にある沢火革では、沢火が互いに助け合い、変革が成ります。ところが火が沢の上にある火沢睽では、火と沢が背き、分岐となります。同じ力でも、位置と用い方が変われば、革にも睽にもなるのです。
睽は家人の後に来ます。序卦伝は、家道が窮まれば乖離するので睽が来ると言います。家庭、組織、国家では、近い関係ほど、行き詰まると強く反目します。しかし睽の中にも合う機はあります。外三爻は、疑いがどうほどけるかをよく語っています。
実際の読み方
睽を得たら、すぐ大同を求めたり、大事業を押したり、人を陣営に分けたりしません。まず差異を認めます。立場、速度、利益、情報、感情が違うのです。
できるのは、小さい事、局部の事、具体的な事です。一つの誤解を解く。一つの手続きを整える。一つの小さな成果を出す。そこから大局がゆっくり戻ります。
卦辞
一言で読む
睽の時は、大事はそろいにくく、小事なら吉です。人心が離れている時、大きく一気にまとめようとしません。
現代語訳
睽は、小さい事には吉です。つまり、人や気持ちが背いている時は、大事を一気にまとめず、小さな事から通すのが吉、という字面です。睽の時は、衆心が離散し、互いに従いにくく、大事を共に担いにくい状態です。大事には、上下の合力と多くの人の同心が要ります。しかし今は上下が背き、左右が疑っています。無理に大事を押せば、裂け目はさらに広がります。
それでも小事は吉です。小事なら、全員の同意を待たずに始められます。一度に全資源をまとめる必要もありません。小さな修理、一つの謝罪、一つの納品、一つの誤解の説明。睽の時の吉は、大きな標語ではなく、そうした小さな所にあります。
高島は、この卦には上下互いに既済の意味があり、既済も小者が亨ると見ると説明します。兌にも小の象があります。だから卦辞は小事だけを言い、大事を言いません。睽でも大事業が成ると読むと、この卦の節度を失います。
実際の読み方
協力を問うなら、すぐ合併、同盟、長期契約へ行かず、まず一つの小さな共同作業をします。感情では、相手に大きな表明を迫らず、一つの具体的な誤解を解きます。会社では、大制度改革より、一つの手順を通すことです。
争いでは、双方が受け入れられる最小の一点を探します。
彖伝
一言で読む
同じ場にいても志が別れる時は睽ですが、悦びと明が少し通じれば小事はなお成ります。
現代語訳
火は動いて上り、沢は動いて下ります。二人の女が同じ所にいても、その志は同じ道を行きません。つまり、同じ場にいても方向や心が別れるのが睽、という字面です。離は中女、兌は少女です。同じ陰柔に属し、一つの場所にいるようでも、心志はそれぞれ別に動きます。これは女性を責める話ではなく、同じ場にいても内心が同じとは限らないという卦象の説明です。
ただし睽は、離れるだけの卦ではありません。悦びが明に付いて、柔らかいものが進んで上へ行き、中を得て剛に応じます。そのため小事は吉です。兌は悦、離は明です。下に和悦があり、上に明があります。六五は柔中で尊位にあり、九二の剛に応じます。だから分岐の中でも、話して明らかにできる土台、少し通じる道があります。
高島は「睽の時用大いなるかな」を面白く読みます。天地は位置が背いていても、共同して万物を成します。男女は内外が別でも、情志は通じます。万物は用途が違っても、分類されて事を成します。睽は差異を消す卦ではありません。差異をよく用いる卦です。違う人を無理に同じにするのではなく、違いの中でそれぞれの位置を得させます。
国家で見れば、政府と人民、上層と下層が動いて互いに見えなくなれば国勢は散ります。しかし久しく合って睽かないものはなく、久しく睽いて合わないものもありません。睽を治める道は、分岐を隠すことではなく、それぞれの気質、位置、通じる小点を見つけることです。
実際の読み方
睽を読む時は、「合う」「合わない」の大判定を急ぎません。どの層が背いているのか、どの小事なら通じるのか、誰が悦びを持ち、誰が明を持ち、誰が中位でつなげるのかを見ます。
差異を分けて見られれば、差異を使えるようになります。
象伝
一言で読む
同じ場にいても働きが違うものはあり、君子は共通点を認めながら違いも保ちます。
現代語訳
火が上にあり、沢が下にあるのが睽です。君子はこれを見て、同じでありながら異なるようにします。つまり、同じ場や目的の中でも、違いを失わずに保つ、という字面です。火と沢は同じ一卦の中にあります。しかし火は上へ炎え、沢は下へ潤し、用い方が違います。君子はここから、共通する所では共通を認め、違う所では違いを保つことを学びます。
同而異とは、わざと目立つことではありません。人が賛成したら必ず反対するという意味でもありません。高島は、声色、貨財などは人がみな欲しやすいものだが、君子は取るべき時は取り、捨てるべき時は捨てると説きます。皆が欲しがるからといって安易に同調せず、かといって世に背くために背くわけでもありません。共通の欲の中で自分の分別を失わないことが、本当の同而異です。
睽で最も危ないのは二つです。一つは、同じ仲間だけを党し、異なる意見をすべて敵と見ること。もう一つは、違うこと自体を目的にして、合理的な共通点まで壊すことです。火沢の象は、同じ場にいるから同じ働きとは限らず、意見が違うから関係が破れたとも限らないと教えます。
実際の読み方
チームでは、職能ごとにやり方が違ってよいが、目的は説明できるようにします。関係では、差異をすぐ裏切りと見ません。決断では、ただ多数に従うことも、ただ逆張りすることも避けます。
世論や争いでは、事実、立場、感情を分けます。同じ所と異なる所を同時に見るのが睽の明です。
占断
一言で読む
背きの中で小さな合いを求めます。上下不通、値の不揃い、上焦と下焦が隔たる病、家宅不安などは、まず疑いを散らし、小さく整えます。
現代語訳
高島の総占では、時運は目下顛倒しており、正道で処するほかありません。戦いでは、軍情が協わず、上下の趣が異なるので、部隊の離散を防ぎます。功名では上下が通じず、名望は成りにくい。経営では、貨価の上下が大きく離れますが、人が捨てるものを自分が取るなら小利を得ることがあります。
病では、上焦と下焦の隔たりを見ます。上には火、下には湿があり、胸中の気機が絶えて通じないので、治療が難しいことがあります。家宅では、天盤地盤がともに動き、上下に不利があるので、避けるか、先に整えるのがよい。婚姻では、二人の女性が求められるような象があり、一方は急、一方は柔なので、気質の合う方を選びます。訴訟は散らして止めるのがよく、からみ続けてはいけません。妊産は女を主に見ます。
これらはすべて、火が上にあり沢が下にある象から出ています。上は熱く、下は湿り、中は通じない。人事では上下が一心にならず、商いでは値段の差が大きく、家では気が落ち着かず、関係では見方がずれます。
実際の読み方
睽を得たら、奇妙な現象をすぐ本当の凶と決めつけません。上爻は泥を負う豚、鬼を載せた車、賊のような相手を見ますが、最後には婚媾となり、雨に遇えば吉です。
まず確かめる。それから動く。小事を通してから大局を語る。これが睽の用法です。
初爻
一言で読む
失ったものを追い回さず、嫌な相手もすぐ拒まなければ、背きの初めの悔いは消えます。
現代語訳
悔いは消えます。馬を失いますが、追ってはいけません。自然に戻ります。悪人に会っても咎はありません。つまり、離れたものを追い回さず、嫌な相手もすぐ拒まなければ、咎を避けられる、という字面です。高島は、馬を初爻が動いて上へ去る象として読みます。自分を捨てて去ったように見えても、初と四は同じ徳を持ち、四には正応がないので、結局また戻ります。だから追うな、自ら復ると言います。悪人は離火の激しく畏るべき象です。睽の時は人心がもともと背いています。嫌な人を見て激しく拒めば、相手はさらに遠ざかります。無心に応じれば、咎を避けられます。
友人が気運を問うて、睽が未済に変じる初九を得ました。高島は、この人は気質が孤高で人と合いにくいが、目下の災悔はすでに退いていると読みました。普段嫌っている人が求めて来ても拒まないこと。失った馬のように、一時の得失を気にしないこと。次の爻には巷で主に遇う象があり、来年には昇進の望みもあると告げました。
実際の読み方
時運は好運が来始め、失ったものも本当に失ったとは限りません。過度に焦らないことです。戦いでは、初戦に小敗しても後に勝ちがあります。経営では、新しい取引が一時不利でも後に戻ることがあり、来る者をむやみに拒みません。
功名は今すぐではなく、次の段階を待ちます。失せ物は急いで追わずとも得ることがあります。婚姻も、今まとまらなくても後に成る余地があります。
二爻
一言で読む
正式な大路が詰まる時でも、近い小路で会うべき人に遇えば咎はありません。
現代語訳
主に巷で遇います。咎はありません。つまり、正式な大路ではなく、身近な小路で会うべき人に出会えば咎はない、という字面です。主は六五です。巷は里の中で人が往来する小路です。二と五は正応ですが、睽の時なので、堂々と大庭で会うことはできません。巷の中で思いがけず出会う。正式な形ではありませんが、会うべき者が会うので道を失わず、咎はありません。
この爻の要は巷です。大路は公開で制度的ですが、睽の時にはかえって通りにくい。小巷は人情に近く、阻みが少ないので、話が通ることがあります。君臣、上下、師生、協力者の間で、正式な窓口が詰まった時、横の道、非公式の対話、偶然の機会が道を開くことがあります。
高島は文部省の教育準則を占って、睽が噬嗑に変じる九二を得ました。当時の教育が旧来の道徳教化を軽んじ、欧米の智理に傾きすぎると見て、『道徳本原』を著し、仁義忠孝、節操廉恥の大切さを述べました。はじめ山県総理に会い、次に芳川文部大臣に会い、最後に天聴へ達し、教育勅語につながったとします。これは予定された公式の一本道ではなく、時に応じて主事者に遇う「遇主于巷」の象です。
実際の読み方
時運は強くはありませんが、近くによい出会いがあります。戦いでは、巷中で短兵相接するような接近戦です。経営では、巷の共の意から、共同事業や出資者との出会いを見ます。
功名は、風雲際会の時です。家宅は小路の内にあり、貴人が近く来ることがあります。病では良医に遇う象です。婚姻は邂逅の縁ですが、必ずしも正式な正配とは限りません。
三爻
一言で読む
前後から引かれ体面まで傷つく時でも、初めが悪いだけで終わりは残ります。
現代語訳
車が引かれるのを見ます。牛は止められ、その人は髪を切られ鼻を削がれます。初めはありませんが、終わりはあります。つまり、前後から牽制され面目を傷つけられても、最後には収まり得る、という字面です。車は前から引かれ、牛は後ろから制され、車と牛が協いません。さらに車を御す人は、髪を切られ鼻を削がれる刑のように、体面を傷つけられます。始めは非常に不順です。
六三は上下の境にあり、位も正しくなく、前後から牽制されます。前の四に曳かれ、後ろの二に掣られるように、一つの事が前にも後ろにも引っ張られます。顔や鼻の傷は、面目、名誉、外の体裁が損なわれることです。しかし三は上九と応じ、上には最後に雨に遇えば吉の象があります。疑いは終に解けるので、無初有終と言います。
高島が、ある貴顕から託された件を占って、睽が大有に変じる六三を得ました。卦に女の象が多いので、頼まれ事はおそらく女性に関わると読みました。初めは上下の人に隔てられ、紛争となり、仲介者も面目を失う。しかしもう一人剛直な人の助言を得れば、最後には成ると断じました。また農商務省の施政を占って同じ爻を得た時は、欧米の農商法をそのまま日本へ用いれば傷を受けると読みました。富商は安逸で遠行を好まず、貧商は志があっても資本がない。糸茶製造に機械を入れても、外貿は関税や船舶保険に阻まれる。農地も狭く、欧米をそのまま写せません。後に商標、保険、銀行支店などの漸進策に改めて、無初有終となりました。
実際の読み方
時運は目下位を得ず、刑傷や辱めを受ける恐れがありますが、後には転じます。経営では、人と合わず、急に始めれば牽制されますが、後期には成る余地があります。功名は左右から掣肘され、晩運がよい。
戦いでは車馬が不利で、初め敗れて後に勝つには援軍が必要です。婚姻は、初め男家の疑いや辱めがあっても、後に疑いが解ければ成ります。家宅では前後左右に牽制があり、頭顔の傷に注意します。
四爻
一言で読む
孤立した局面でも、誠実に通じ合える相手を見つければ、危うさはあっても道は保てます。
現代語訳
睽いて孤独です。元夫に遇い、互いに誠を交わします。危ういけれど咎はありません。つまり、背きの中で孤立しても、誠を交わせる相手に会えば咎を免れる、という字面です。四は外卦離の始めで、離は目です。目が互いに見合わないので睽です。四には正応がなく、孤です。元夫は初九を指します。初と四は同じ睽の時にあり、同じ一卦の始めにいるので、気が通じ、志も通じることがあります。
この爻は初九と響き合います。初九では失った馬を追わない。四爻では孤の者が元夫に遇う。前で急いで追わなかったから、後で自然な出会いが来ます。睽の時に本当に助けになる人は、騒がしい同盟者とは限りません。同じく孤で、同じく局面を分かり、誠をもって交われる人です。
明治二年十二月、高島は海軍省の蒸気船飛龍丸で米を南部宮古へ運ぶことになり、出発前に睽が損に変じる九四を得ました。途中でふと十八年前に知った女性を思い出し、到着後、旧友に頼んで呼び寄せました。女性は病で容貌が変わり、自ら恥じて席に入ろうとしませんでした。高島は旧情を思い、米二十包を贈って生活を助けました。これは、旧日相睽き、孤境に再び遇い、交孚によって恥と困窮を解く象です。
実際の読み方
時運では、気質が孤介で時に合いにくいが、同志に遇えば大過を免れます。戦いでは、孤軍深入して危ういが、救いを得ることがあります。経営では、遠くの孤客となり、貨物が売れにくくても、旧友に遇えば処分できます。
功名は孤寒で大きな顕達は望みにくく、無咎を求めます。家宅は孤村僻地の象。病は目疾を見ますが、良医を得れば治ります。
五爻
一言で読む
同じ根を持つ相手と近く通じられれば、柔らかい隔たりは破れ、往いて咎はありません。
現代語訳
悔いは消えます。その同宗が膚を噛みます。往けば何の咎があるでしょうか。つまり、同じ根を持つ相手と近く通じれば、隔たりは破れ、前へ行っても咎はない、という字面です。五は君位にあり、睽の時にいるので本来は悔いがあります。しかし九二と応じ、二は同宗、臣、近づける人です。そのため悔いが亡びます。噬膚とは、柔らかい皮膚や肉を噛むことです。隔たりが硬くなく、噛めば通じるという意味です。
睽が五爻まで来ると、見知らぬ人どうしの衝突ではなく、同宗、同類、君臣、上下が再び会う段階になります。二爻は主に遇うと言い、五爻は厥宗と言います。上からも下からも、互いが同じ根に属することを認めるのです。共に食し、共に議し、共に責任を担えば、隔たりは柔らかい皮のように破れます。
明治二十三年春、衆議院を占って、睽が履に変じる六五を得ました。高島は、五は君位、二は臣位で、二五が応じるので君臣相合い、会議の象があると読みました。卦名が睽なので議会内部には必ず異見があります。しかし厥宗とは、貴族院と衆議院が位階は違っても同じ国家政体に属することです。噬膚は議が成った後の酒食会飲にも通じ、分岐を通して上下の志が合うと見ました。
実際の読み方
時運では、悪い運が退き、同宗同類と共に事を進められます。戦いでは勇んで進めます。経営では、共同者が利益を食い込むことには注意しますが、道理を明らかにして前へ行けば利を得ます。
功名は同宗の助けで慶びがあります。家宅は宗族の旧家の象で、住めば慶があります。病は皮膚や筋肉の病で、比較的治しやすい。婚姻は親族や旧家同士の縁として成ると喜びがあります。
上爻
一言で読む
疑いが極まると何でも怪しく見えますが、雨のように緊張がほどければ誤解は吉に変わります。
現代語訳
睽いて孤独です。泥を背負った豚を見、鬼を一車に載せているように見ます。初めは弓を張り、後には弓を外します。相手は賊ではなく、婚姻を求める人です。往いて雨に遇えば吉です。つまり、疑いが極まると相手を怪しく見誤るが、疑いが解ければ吉に変わる、という字面です。孤疑が極まると、泥まみれの豚を怪物に見、車に載るものを鬼に見ます。先には弓を張って射ようとしますが、後には弓を外します。相手は賊ではなく、婚姻を結ぶ相手でした。往いて雨に遇えば、火気が消え、煙も散り、吉になります。
上九は離火の極にあり、互卦の坎は疑い、豚、車、鬼、雨の象を持ちます。離は目ですが、睽の時の目は明らかに見ません。疑いが普通の景色を恐ろしい景色へ加工してしまうのです。この爻の深い意味は、多くの恐怖は事実そのものではなく、疑心が事実を悪く作り替えたものだということです。雨が降れば火は鎮まり、疑いは消え、孤立していた睽は合へ向かいます。
東京のある大家の夫人が娘と来て、夫が気鬱の久病で医薬が効かず、養嗣の人も遊蕩で家を継げそうにないと問いました。高島は、病と家憂の根は猜疑の一念にあると読みました。主人は養嗣を疑い、日夜憂れて火気が上へ衝き、湿気が下に鬱し、上下が通じないので病になった。家人も疑いによって豕を見、鬼を見、寇を見ている。娘が柔らかく接し、兌の悦で遇すれば、枯れたものが雨に遇うように、睽は最後まで離れたままではないと告げました。
また高島が春日に出遊し、睽が帰妹に変じる上九を得た時、初めは孤身で行く先も定まりませんでした。途中で旧友に遇い、大阪へ向かい、書店で長年探していた周易の珍本を得、さらに旧蔵の易書も多く買うことができました。後に、載鬼一車は鬼でなく書物であり、遇雨は途中で遇った旧友だったと解しました。上九は恐怖だけでなく、見誤りの後に喜びを得ることも示します。
実際の読み方
時運は、運が交わり変わる時で、妄想と疑いを最も戒めます。まず心を定めます。戦いでは、高所にいて軍が孤立し、疑兵を防ぎます。経営では、値動きが多く、盛夏は客が少なく、秋雨の後に利があります。
功名は、眼前の変動が怪しく見えても、久しければ解けます。婚姻は、前に疑いで不和でも後に和します。家宅は変動と疑惧がありますが、婚嫁などの喜びで解けます。病は疑心から来ることがあり、疑いが破れれば軽くなります。
火沢睽:読みの覚え
火沢睽は、向きが違い、互いに見誤る卦です。大きく一つにまとめるより、小さな接点から通じる道を探します。
違いを消さず、小さく通す
睽では、違いを消すことより、違いを認めた上で小事を成すことが大切です。大きな一致を急ぐほど、互いの見え方は歪みます。
疑いが極まると、相手が怪物に見えることがあります。まず誤解をほどき、小さく合える場所を探します。
立てておきたい問い
- 本当に対立していますか、それとも見え方が歪んでいますか。 - 大きな一致を急ぎすぎていませんか。 - 小さく合える場所はどこにありますか。
全体合意より小さな実務
夫婦、共同経営、部署間の不一致、価格差では、全体合意より小さな実務から始めます。嫌な相手をすぐ拒まない余裕が、悔いを消します。
あわせて読む
天火同人は公に人を合わせる卦で、火沢睽は違いの中で小さく通す卦です。天雷無妄と読むと、思い込みが対立を作っていないかが見えてきます。
本卦の問い
本当に対立していますか、それとも見え方が歪んでいますか。
立場の違いなのか、情報不足なのか、思い込みなのかを分けます。睽では、相手の姿がこちらの不安で歪んでいることがあります。
大きな一致を急ぎすぎていませんか。
大きく一つにしようとすると反発が増える時です。まず期限、支払い、担当、連絡など、小さく合える所から始めます。
小さく合える場所はどこにありますか。
目的全体は違っても、実務の一点なら合えることがあります。睽では、その小さな接点を軽く見ないことです。
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