高島易断
沢地萃|意味・卦辞爻辞解説
沢地萃䷬:一言で読む 萃は集まる卦です。人、財、心力が一か所へ集まりますが、成否は人数の多さではなく、中心、誠、規則があるかで決まります。 現代語訳 萃は上が兌沢、下が坤地です。沢が地の上にあり、水が低い所へ集まるように、人群、財貨、知らせ、力がしだいに一つの場所へ集まります。沢は水を蓄え、地は沢を受けます。だからこの卦には蓄え集める意味があります。また升と反対で、升が小を積んで高大を成すことを言うのに対し、萃は集まった後に、どのように衆を安んじるかを言います。
導入
一言で読む
萃は集まる卦です。人、財、心力が一か所へ集まりますが、成否は人数の多さではなく、中心、誠、規則があるかで決まります。
現代語訳
萃は上が兌沢、下が坤地です。沢が地の上にあり、水が低い所へ集まるように、人群、財貨、知らせ、力がしだいに一つの場所へ集まります。沢は水を蓄え、地は沢を受けます。だからこの卦には蓄え集める意味があります。また升と反対で、升が小を積んで高大を成すことを言うのに対し、萃は集まった後に、どのように衆を安んじるかを言います。
序卦伝は、姤は相遇であり、万物は遇った後に集まるので、姤の後に萃が来ると説きます。つまり萃は突然どこからもなく現れるものではありません。まず出会い、接触、交易、信頼があり、その後に組織、群体、事業、共同生活ができます。
卦辞は「萃は亨る。王、廟に假る。大人を見るに利があります。亨る。貞に利があります。大牲を用うれば吉。往く攸あるに利があります」と言います。これは、衆を集めるには賑わいだけでは足りず、強制だけではなお足りないと教えます。王が宗廟に至るのは、まず共通の敬畏と共通の根を立てるためです。大人を見るのは、徳と位があり、衆を服させられる人が主持する必要があるからです。大牲を用いるのは、礼意が厚く誠実であるべきだからです。貞に利があります、往くに利がありますとは、正を守ってから行動してよいということです。
実際の読み方
萃を得たら、まず「なぜ皆がここに集まるのか」を問います。共同の目標、共同の信義、正当な利益のためなら事は成ります。貪利、勢いだけの騒ぎ、一時の寄り合いなら乱れやすい。
家庭、会社、共同体、財の聚散を問う時も、先に中心を立て、次に規則を明らかにし、最後に人が多いことで起こる思わぬ事を防ぎます。
卦辞
一言で読む
人心を集めるには、人数より先に、共通の根、信じられる主、重い誠意を立てます。
現代語訳
萃は通じます。王が宗廟に至ります。大人を見るのに利があります。通じます。正しくするのに利があります。大きな犠牲を用いれば吉です。行く所があるのに利があります。つまり、人を集めるには中心を立て、徳ある人を見て、厚い誠意をもって正しく進めば利がある、という字面です。「王假有廟」の假は、至る、来るという意味です。王が宗廟へ来るのは、ただ儀式を行うためではありません。一国一家の心を、先祖、礼法、共通の記憶の前に収めるためです。人が多くなれば意見は雑になります。皆が認める中心がなければ、集まっても散り、ひどければ乱れます。
萃と渙は、表では反対に見えます。一つは集め、一つは散らす。しかし二つは互いに意味を明らかにします。渙にも王假有廟があり、散る時には精神を発揚して、離れた人に根があることを感じさせます。萃の王假有廟は、すでに集まった精誠を一つの中心へ注ぎます。一つは散から通へ、一つは聚から定へ向かいますが、目的はどちらも人心を真実にして、浮つかせないことです。
「大人を見るに利があります」は九五を指します。衆を集める時、最も恐れるのは主持する人がいないこと、または主持する人に権位だけあって徳望がないことです。大人は衆を御し、乱を治め、人に心服させることができます。だから会い、帰附するのに利があります。「大牲を用うれば吉」は、礼が重く、誠意が十分であるべきだということです。古代では牛羊を祭りに用いました。現代なら、大きな集まり、大きな約束、大きな協業を、軽率に、形だけで、空手で行ってはいけないという意味です。
実際の読み方
協業を問うなら、まず皆が認める主事者がいるかを見ます。会社なら、制度と価値が人を心服させるかを見ます。家庭なら、祖徳、家規、年長者、中心人物が衆を安んじられるかを見ます。
財を問うなら、財が集まるのはよいが、帳目、分配、信が必要です。萃の吉は、人が多ければ吉ではなく、正しく、誠実に、主を得て集まる時の吉です。
彖伝
一言で読む
人は力で囲うものではなく、中正の主に悦んで帰る時、本当に集まります。
現代語訳
萃は聚まることです。順って悦び、剛が中にあって応じるので聚まります。つまり、下が順い上が悦ばせ、中正の主と応じ合うから人が集まる、という字面です。下卦の坤は順、上卦の兌は悦です。下は順い、上は人を悦ばせる。さらに九五は剛健で中に居り、六二がこれに応じます。だから聚まります。もし上に中正な中心の軸がなければ、下の順は盲従になります。もし下が悦服していなければ、上の剛は圧迫になります。萃が成るには、順、悦、剛、中がそろう必要があります。
「聚るに正を以てす」が大切です。人が集まること自体は、まだ吉ではありません。盗賊も集まります。流言も集まります。怨気も集まります。ただ正道に集まる時だけ、通じます。卦辞が先に宗廟を言い、次に大人を言い、次に大牲を言うのは、衆の集まりを賑わいから正道へ戻す段階です。敬畏があり、主持があり、誠ある礼があり、行える事がある。
高島はこの卦を人事と国家に推して説きます。内に向かえば精神を集めること、外に向かえば財力を集めることです。順でなければ散り、悦でなければ離れ、剛がなければ衆を畏れさせるものがなく、中がなければ衆は本当に服しません。国家が民を集めるとは、民を力で囲い込むことではなく、民が悦んで帰聚するようにすることです。一家が族を集めるのも、血縁だけではなく、孝、礼、和楽、公正によります。
実際の読み方
萃を読む時は、集まったという結果だけを見ません。何によって集まり、どのように集まったかを見ます。
徳で集まれば、集まるほど穏やかです。利で集まれば、利が尽きれば散ります。威圧で集まれば、いつか反発します。私情で集まれば、党を生みやすい。人が来たいと思い、来た後に秩序があり、その秩序の中にも悦びがある。それが萃のよい使い方です。
象伝
一言で読む
人も財も集まるほど、不測も集まるので、集める人は先に備えを整えます。
現代語訳
沢が地の上にあるのが萃です。君子はこれを見て戎器を整え、不意の事を戒めます。つまり、人や財が集まる時は、危険も集まるので備えを修める、という字面です。兌には金の象、坤には器の象があるので、戎器の象があります。「除」は廃することではなく、修め、整え、備えることです。人と資源が多く集まれば、危険もまた集まります。だから君子は安きにいて危うきを忘れません。
この戎器は、兵器だけに限りません。現代なら、安全計画、制度の手順、緊急資金、防火設備、契約条項、情報発信の仕組み、権限管理などです。集会、会社、家族、共同体、国家、どれも人が多く財が多いほど、一時の衝突、突発事故、秩序の崩れを防ぐ必要があります。
沢が地の上にあり、水が満ち過ぎれば溢れます。時にはあふれて走ります。萃も同じです。喜ばしい集まりが口論を生むことがあり、財の集まりが争奪を生むことがあり、権力の集まりが猜疑を生むことがあり、群衆の集まりが事故を生むことがあります。防げる人こそ、本当に集めることができる人です。
実際の読み方
企てを問うなら、人を招き金を集めるだけでなく、規則を書き、危険を洗い出します。家庭の集まりなら、親情だけでなく境界と分配を明らかにします。
会社の拡張なら、人事、財務、法務、安全がついて来なければなりません。萃の成熟は、場面が大きいことではなく、大きな場面でも秩序と備えがあることです。
占断
一言で読む
人も財も集まりやすい時ですが、聚散の循環と人の多さによる変を先に防ぎます。
現代語訳
高島の総占では、時運はおおむね順で、安きにいて危うきを忘れなければ、心は自得して憂いが少ない。戦い、競争を問えば、兵器はもともと凶器であり、戦争はもともと危事です。事に臨んで恐れ、よく謀ってから動くのでなければ、不測を免れません。経営や売買では、萃は財が集まる象ですが、集まれば必ず散る時があり、満ちれば必ず欠ける時があるので、常に備えます。
功名は、大象に戎器を整える意味があるため、武功で名を得る方に寄ります。婚姻では、外からの衝突や乱れを防ぎ、ただ相合うだけを見て事変を忘れてはいけません。家宅は沢が地に上るので、大水が家へ入ることを防ぎます。現代的には、湿気、積水、管、近隣の揉め事にも通じます。病は胸腹の水脹、積滞の類を防ぎ、早く調えます。行人は途中で阻まれ、しばらく帰りにくいことがあります。
これらの占断はすべて同じ道理をめぐります。集まりはよい象ですが、絶対に無憂ではありません。財が集まれば損を防ぎ、人が集まれば乱を防ぎ、兵が集まれば凶を防ぎ、水が集まれば溢れを防ぎ、情が集まれば怨みを防ぎます。集まる時に先に散ることを思い、安い時に先に危ういことを思えば、萃をよく用いることができます。
実際の読み方
何を問う場合でも、人が来た、金が来た、機会がそろったと思った時に、すぐ気を緩めないことです。
誰が主持するか。規則は何か。危険はどこか。利益はどう分けるか。事故が起きたらどうするか。これが明らかになって初めて、萃はただの賑わいではなく、使える力になります。
初爻
一言で読む
信が浅くて集まりが乱れても、正しい号令に従えば憂えず進めます。
現代語訳
真心はありますが、最後まで続きません。そこで乱れ、そこで集まります。もし号令すれば、一握りの笑いとなります。憂えることはありません。往けば咎はありません。つまり、信が浅く集まりが乱れても、正しい号令に従えば和らぎ、進んでも咎はない、という字面です。初は萃の始めです。互いに信はありますが、まだ浅く、最後まで続きません。一念はこちらに集まり、一念はまた別へ集まる。志が先に乱れるので、聚ることがかえって乱れになります。
「もし号えば」とは、正しい号令に従うことです。初は九四と応じています。初爻自身は柔弱で下にあり、衆はあっても総領する力は足りません。散乱を収める号令を発することができるのは九四です。「一握為笑」は、手を取り合い、誠意を出し合い、怨気が笑いへ変わることと読めます。正しい号令に従って進めば、大きな過失はありません。
占例では、明治十五年十月、大水が上野から高崎鉄道の戸田川口仮橋を壊しました。鉄道局長井上が高島に修橋の策を占わせ、萃が随に変じる初六を得ました。高島は「沢上於地」を洪水の象と読み、初爻の有孚不終を、仮橋が作っては倒れ、また作っては倒れることに応じるとしました。さらに四、五爻の位置から、橋の向きを改め、平地に土を盛って基礎を作り、鉄索を設け、水が来れば高さに随い、水が落ちれば平らに随うようにすべきだと勧めました。後にこの策で造り、翌年大水が再び来ても橋に患いはありませんでした。
実際の読み方
時運は、初めに順逆があり、反復して定まりません。人の助けを得れば大過を免れます。経営は始めはあっても終わりがなく、聚散が不安定なので大きな利は求めにくい。
組織や集まりでは、群情が乱れ動くことを最も防ぎ、明らかな号令が必要です。病は心神が乱れ、急に泣いたり笑ったりする象があり、医を求め心を安んじます。家宅は仮住まいにはよいが、長居には向きません。
二爻
一言で読む
人を正しい中心へ引く時は、飾りより誠があれば吉で咎はありません。
現代語訳
引かれて吉です。咎はありません。真心があれば、薄い禴祭を用いても利があります。つまり、正しい中心へ引かれ、誠があれば、簡素な礼でも通じて吉、という字面です。六二は下卦の中におり、上で九五に応じます。萃の本当の中心が五にあることを知っています。初は乱れ、三は嘆きますが、それは聚るべき所を失っているからです。二は初と三を五へ引くことができるので、吉で咎がありません。
引とは、縄で引くことでもあり、人が間に立って取り持ち、紹介し、道を示すことでもあります。禴は夏の祭りで、祭礼は薄めです。しかしこの爻で重いのは孚です。誠があれば、飾り立てなくてもよい。誠がなければ、どれほど大きな場面を作っても空です。萃は外見の賑やかさで成るのではなく、真の信意によって人を正しい所へ引くことで成ります。
占例では、ある友人が気運を問うて、萃が困に変じる六二を得ました。高島は、その人の企ては必ず誰かの引薦があって初めて伸びると読みました。彼を導く人は五の位にある人です。ただし間に三、四の爻が隔たり、人事の障りがあるように見える。そこで礼を備え、祈り、誠をもって助けを求めれば、隔たりは妨げにならず、自然に吉となると断じました。
実際の読み方
功名を問えば、人に引き立てられます。経営では、資金を集め、人と組み、客を引くことに向きますが、根は信です。婚姻は二五が応じ、婚約を結ぶような象があります。
戦いでは、古人が出師の前に祭ったように、衆軍が先に同心し、誓いを立てます。病では、元気を引き導き、気の流れを整える方法がよい時です。
三爻
一言で読む
集まっても中心を得なければ嘆きますが、本当の主へ帰れば大過はありません。
現代語訳
集まるようです。嘆くようです。利のある所はありません。往けば咎はありません。小さくは吝です。つまり、人は集まっても中心を得なければ嘆きとなり、正しい所へ往けば咎はないが少し恥はある、という字面です。三は坤体の上にあり、坤は衆です。人が集まる象があります。しかし三は陰で陽位におり、中でも正でもなく、衆を統べる才がありません。人が集まれば本来は利を得るはずですが、集まっても利がないので、衆は自然に嘆きます。
この爻は、永遠に道がないと言うのではありません。自分が中心になろうとしないことです。全卦では九五が萃の宗主であり、卦辞の「大人を見るに利があります」の大人です。六三が九五へ往き帰り、衆を本当に主持できる人へ導くなら、大きな過失はありません。小吝は、自分が衆を集めようとして服させられなかった、その見苦しさです。
占例では、ある友人が気運を問うて、萃が咸に変じる六三を得ました。高島は、相談者は副局長の任にありながら衆心を得ていない。これはまさに萃如嗟如、利のあるところはありませんだと読みました。最もよい方法は、無理に支え続けることではなく、衆を局長に帰附させ、局長を真の中心にすることです。そうすれば衆人は利を得、相談者も大過を免れるとしました。
実際の読み方
時運は今は平凡で、実利を得にくい。経営では、貨物は多くても売れず、別の場所へ移して初めて道があります。戦いでは、兵はあるが用いられず、主将に才がないため怨声が起こります。
家宅は同居が和せず、口舌が多い。別の所へ移れば少し緩みます。訴訟には不利です。
四爻
一言で読む
大きく集められる時ほど、その人心と功を正主へ帰せば大吉で咎はありません。
現代語訳
大きければ吉です。咎はありません。つまり、大きく人を集めることが正しく行われれば吉で咎がない、という字面です。この爻辞はたいへん吉に見えます。しかし象伝はすぐ「位当たらざるなり」と戒めます。九四は内外卦の境にあり、九五の君に近く、下では初六に応じ、六三とも近い。門を開いて衆を招き、賢を礼することができ、声勢は一時とても盛んになります。
問題は、九四が臣位であって君位ではないことです。臣でありながら衆を得る時、集めた人心、資源、功労を上位へ帰すことができれば、文王が天下の三分の二を有してなお殷に事えたように、大吉で咎はありません。もし衆望を自分のものとして抱えれば、功高くして主を震わせ、最も危うくなります。
占例では、ある家の支配人が気運を問うて、萃が比に変じる九四を得ました。高島は、爻辞は大吉と言うが、爻象は位不当を戒めていると読みました。相談者は主家の事務を取りしきり、主家の権利、金銭、人事を扱っています。そのため、権利に近づきたい人は多く彼に帰り、主人へ直接帰りません。名声は大きく、運も盛んで大吉と言えます。しかしその権利は本来主家のものであり、自分のものと思ってはいけない。常に警戒すべきだと断じました。
実際の読み方
時運は勢いがとても盛んですが、身分、位置、権限を分けて明らかにします。功名は大きく成りますが、徳が位に合うかを恐れます。経営では財と利を得ますが、退く余地を残し、他人の権を自分の権と思わないことです。
戦いでは勝利を望めますが、功高くして忌まれることを防ぎます。婚姻は互いに応じるものの、門地や位置がやや相当しないことがあります。
五爻
一言で読む
地位で人は集まっても、信が足りないなら長く正を守って初めて悔いが消えます。
現代語訳
位があって集まります。咎はありません。真心によるものではありません。大いに永く正しければ、悔いはなくなります。つまり、地位によって人は集まるが、心からの信が足りないなら、長く正しくして悔いを消す、という字面です。九五は尊位にあり、全卦の聚衆の主です。だから有位に萃ると言います。位があれば衆を御することができ、大きな過失はありません。しかし衆を集めることは、座席、肩書、権力だけで成るものではありません。
「孚に匪ず」は深い戒めです。衆があなたの所へ来たとしても、必ずしも心から服しているとは限りません。権位に押されて表面だけ集まっていて、心では信じていないことがあります。本当の萃は徳で人を集め、信で人を服させることです。もし一時まだ信を得られないなら、元永貞、根本から心を発し、長く正を守り、急いで喝采を求めない。久しければ悔いは自然に消えます。
占例では、ある友人が気運を問うて、萃が豫に変じる九五を得ました。高島は、五爻は萃の主で、位もあり衆もあるので、運勢に大きな過失はないと読みました。相談者は低い人ではなく、位と財があり、あるいは一郷の望みであり、あるいは一家の主です。ただ今は信義がまだ衆に十分信じられていない。道を履み正を守り、久しく失わなければ、万事通達すると断じました。
実際の読み方
事業では、地位、資源、人手はありますが、信用を補う必要があります。経営では財は集まっていますが、信がまだ孚していないので、正を守って初めて長続きします。功名は位高く望みも重いほど、徳を修めます。
戦いでは三軍がすでに集まり、大業を成せますが、誠を推してともにします。家宅は山水が集まり、族が集まって住む象で吉。訴訟では、相手に声勢と位分が大きいので、理と信があるかを見ます。
上爻
一言で読む
孤立して本当に嘆き泣くほど危うさを知れば、人心を動かし咎なしにできます。
現代語訳
嘆息し、涙と鼻水を流します。咎はありません。つまり、孤立の苦しみを真実に嘆き泣くが、それによって人心が動けば咎はない、という字面です。齎咨は嘆息、涕は涙、洟は鼻水です。合わせれば、悲しみ泣いて止まらない姿です。上六は萃の最上、最外にあり、陰柔で中を得ず、六三とも敵応します。本当に互いに集まることができないので、孤立して不安です。
この爻の取るべき所は、真実です。体面を取り繕うのではありません。自分の孤危を本当に知っているので、憂いは深く、悲声は外へ現れます。人情は時にこうです。傲慢な孤立は怨みを招きますが、真実の悲苦は人に憐れみを起こさせ、人を集めることがあります。だからなお大きな過失はありません。
高島はまた別説も引きます。咨を資財と見、萃を所有と見るなら、上六は財は集まっているが民は散っているような象です。財だけあって人心がなければ、厚い資を抱えていてもかえって自ら危うい。このような局面は、まさに痛哭流涕すべきものです。
明治二十一年六月、高島が愛知の熱田にいた時、地方は大旱で、郷民数百人が神社で雨乞いをしていました。高島はそのために占い、萃が否に変じる上六を得ました。彼は上爻の齎咨を天が怒って雷鳴すること、涕洟を滂沱の大雨と読み、初から上まで六日として、六日後に験があると推しました。その日午後、果たして雷電風雨が一斉に起こり、溝渠は満ち、平地も水となりました。後に熱田神社はこの霊験によって重んじられ、祠幣を受けました。
実際の読み方
時運は衰え、孤苦の所に来ています。ただし真実に助けを求めれば、人が憐れて助けることがあります。経営は孤客で伴がなく、道が尽き日も暮れるようですが、救いを得る余地があります。
功名は時が衰え運が極まって、名を成す望みは薄い。戦いでは衆軍が離反し、主将が孤立する象があります。婚姻には生別死別の悲しみがあります。病は悲泣と憂傷が過ぎることから来やすく、心を広くして養います。
沢地萃:読みの覚え
沢地萃は、人や財や心が集まる卦です。集まりの成否は人数ではなく、中心、誠、備えにあります。
集まるほど、備えも要る
萃では、人が集まるほど不測も集まります。共通の目的、信じられる主、規則、供えを先に立てることで、集まりは力になります。
人数の多さを、信頼の深さと取り違えないことです。中心を得ない集まりは嘆きになり、誠ある集まりは大きな力になります。
立てておきたい問い
- 集まっている人々には、帰る中心がありますか。 - 人数の多さを、信頼の深さと勘違いしていませんか。 - 集まりに伴う事故や争いへの備えはありますか。
号令と役割を整える
会議、イベント、資金調達、組織再編では、号令と役割を整えます。人が集まる場では、礼、案内、供給、安全、記録まで含めて準備します。
あわせて読む
水地比は親しんで帰る卦で、沢地萃は多くが一か所へ集まる卦です。地水師と読むと、集まった後の統率が見えてきます。
本卦の問い
集まっている人々には、帰る中心がありますか。
中心がない集まりは、声が多いだけで散りやすくなります。誰を信じ、何のために集まり、どこへ帰るのかを明らかにします。
人数の多さを、信頼の深さと勘違いしていませんか。
人が多いことと、心が定まっていることは違います。萃では、量より中心と誠が集まりの質を決めます。
集まりに伴う事故や争いへの備えはありますか。
案内、警備、会計、責任者、緊急連絡、退出方法を見ます。集まる力が大きいほど、不測への備えも必要です。
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