高島易断
山雷頤|意味・卦辞爻辞解説
山雷頤䷚:一言で読む 山雷頤は養いの卦です。身体、口腹、言葉、徳、家、国、人々をどう養うかを問います。 現代語訳 頤は上が艮山、下が震雷です。卦の形は上下の陽爻が上下の唇のようで、中の四陰が虚に開き、一つの口に見えます。口は食べる所であり、話す所でもあります。人は口から養いを取り、口から言葉を出し、口によって生を保つ一方、口によって禍も招きます。高島は頤を、単なる飲食の卦ではなく、「何によって生きるか、何で自分を養うか、何を使って人を養うか」という広い問題として読みます。
導入
一言で読む
山雷頤は養いの卦です。身体、口腹、言葉、徳、家、国、人々をどう養うかを問います。
現代語訳
頤は上が艮山、下が震雷です。卦の形は上下の陽爻が上下の唇のようで、中の四陰が虚に開き、一つの口に見えます。口は食べる所であり、話す所でもあります。人は口から養いを取り、口から言葉を出し、口によって生を保つ一方、口によって禍も招きます。高島は頤を、単なる飲食の卦ではなく、「何によって生きるか、何で自分を養うか、何を使って人を養うか」という広い問題として読みます。
震は下にあって動き、艮は上にあって止まります。口は動きたがります。食べたい、言いたい、求めたい。しかし上に止めがなければ、貪食、妄言、求養の乱れになります。頤の中心は、多く食べることでも、多く得ることでもありません。養うところが正しいかです。食が正しく、言が正しく、生計が正しく、人を養う道が正しければ吉。口腹のために廉恥を捨てれば凶です。
序卦伝は、物が蓄えられてから養うことができるので、大畜の後に頤が来ると言います。大畜は力や資源を蓄える卦でした。頤は、その蓄えを用いてどう身を養い、徳を養い、人を養うかを問います。社会も同じです。資源があるだけでは足りません。民はどう生計を得るのか、政府はどう救済するのか、人材はどう支えられるのかを見なければなりません。
実際の読み方
頤を得たら、まず入口と出口を見ます。何を食べ、何を信じ、どんな情報を吸収しているか。何を語り、どんな命令を出し、どんな約束を口にしているか。
さらに口実を見ます。何によって生活しているか。その生計は正当か。人の廉恥や正道を傷つけていないか。頤卦で最も危ないのは、養いを求めるために正を失うことです。
卦辞
一言で読む
養いは正しくて初めて吉で、人を見る時は何を養い、何で自分を養うかを見ます。
現代語訳
頤は、正しく守れば吉です。養いを見る。自分で食べるもの、生活の根拠を求めます。養いは正を守って初めて吉です。そして人を観る時は、その人が何を養っているか、どう自分の食べるもの、生活の根拠を得ているかを観ます。
観頤は重要です。その人が何を養うかを見れば、公か私かが分かります。自分をどう養うかを見れば、廉か貪かが分かります。賢を養い、民を養い、徳を養うのは大きな養いです。口腹、虚栄、欲望だけを養うのは小さな養いであり、時には邪な養いです。頤は生計を求めることを否定しません。普通の人が生きるために働くのは当然です。問題は、生活のために正道を失うかどうかです。
高島は、養の道は静を主とすると言います。天地万物の多くは、上が動き下が止まる形を持ちます。しかし頤は下が動き上が止まります。口の欲が下で動くので、上に止めが必要なのです。人が頤を観て節制を知れば、嗜欲は減り、廉恥は立ち、心志は安らぎます。養生と養徳はここでつながります。
自求口実は冷たい言葉ではありません。人は正当な能力によって自分を養うべきだということです。士は禄位を得、農は耕作し、工は器物を作り、商は貨財を通じさせる。それぞれがその力で食べます。恒産も正当な生計もなければ、邪へ流れ、廉恥と道を失いやすい。頤は個人の生計と社会の養民を一つに見ます。
実際の読み方
仕事では、収入源が正当で、安定し、人を養い自分を養えるかを見ます。健康では、飲食、作息、欲望の節制が中心です。関係では、互いに滋養しているのか、ただ索取しているのかを見ます。組織では、賢才を養っているのか、機嫌を取る人だけを養っているのかを見ます。
頤の吉は、食べることの多さではなく、養いの正しさにあります。
彖伝
一言で読む
養う道は一人の口から天地と国家に広がり、正しく養う時だけ万民まで届きます。
現代語訳
頤が正しくて吉とは、正しいものを養えば吉ということです。頤を見るとは、その人が養うものを見ることです。自分で食べるものを求めるとは、その人が自分をどう養うかを見ることです。天地は万物を養い、聖人は賢者を養って万民に及ぼします。頤の時の意味は大きい。この一段は、頤を個人の口から天地と政治の養いへ押し広げます。
養正とは、健康な食事だけを指す狭い言葉ではありません。養う対象、養う方法、養う動機が正しいことです。賢才を養うのは正です。貪欲を養うのは偏りです。民生を養うのは正です。自分に依存する私党だけを養うのは偏りです。自分の力で食べるのは正です。媚び、欺き、侵奪によって口食を得るのは偏りです。
高島は頤卦を二面に分けます。下三爻は多く自養を語り、上三爻は多く養人を語ります。自養が口体だけなら私で小さい。養人が徳、賢、民を養うなら公で大きい。しかし自養でも養人でも、要は正を得ることです。正を失えば、養えば養うほど悪くなり、求めれば求めるほど失います。
国家に当てれば、人民にはそれぞれの口があり、それぞれが口実を求めます。政府は刑法で乱を止めるだけでは足りません。生活の源を開く必要があります。租税を軽くすべき時は軽くし、飢饉には糧を出し、病には薬を与え、賢者を尊び才能を養う。これが天地の好生に近い養いです。救済を名声の道具にするなら、すでに頤の正を失っています。
実際の読み方
頤を読む時は四つを問います。自分は何を養っているか。何によって自分を養っているか。何を用いて他人を養っているか。その養いは、人をより有徳にし、安定させ、自立させているか。
頤は飲食から始まりますが、飲食で終わりません。口、言葉、生計、政治、救済、教育、すべてが養いの問題です。
象伝
一言で読む
口から入る飲食と口から出る言葉を節すれば、身も家も養いが整います。
現代語訳
山の下に雷があるのが頤です。君子はこれを見て、言葉を慎み、飲食を節します。雷は山の下にあり、動こうとします。山は上にあって止めます。これは人の口によく似ています。食べたい、言いたい、求めたいという動きがあり、それを止め、節する必要があります。
言語は禍福の入口です。言葉を慎まなければ、命令、約束、怨み言、軽口が後の災いになります。飲食は病の入口です。過食、味への貪り、作息の乱れは身体を傷めます。頤卦が慎言と節食を並べるのは、どちらも口から出入りするからです。
高島はこの象を広く推します。小さくは個人の飲食と言葉、大きくは政府の命令、財政の収入、資源の配分です。命令は出口なので慎む。財貨は入口なので節する。さらに高く言えば、徳を養って天下を養うことです。
実際の読み方
健康を問うなら、まず飲食と作息を改めます。口舌是非を問うなら、急な言葉、満口の言葉、怨みの言葉を減らします。管理では、命令を朝令暮改にしません。財務では、入るものも出るものも節度を持ちます。
頤の象は、口のことを軽く見るなと言います。口から入るもの、口から出るものは、最後には身体、関係、家運、事業の形になります。
占断
一言で読む
飲食、言葉、生計、人を養う仕組みを正しく整える時です。貪食、妄言、養いのために道を失えば凶です。
現代語訳
高島の総占では、戦いは上が止まり下が動くので、部下の妄動、機密漏洩、酒食による争いを防ぎ、最も慎重を要します。功名では、山下に雷があり、雷が声を発して山も鳴るので、声名が上がる象があります。商いでは、内が動き外が止まるため、貨物は内地で値上がりし外地で下がること、また外地へ運んでも一時売れないことがあります。貨物は食品に関わるものが多い。
家宅は、艮山が止まろうとし震雷が動こうとします。山が上、雷が下なので、地盤の震動や火災に注意します。病は、上焦が寒く閉じ、下焦が熱して泄する象で、上下の気が通じて吉となり、爻日で推せば五日ほどで転じることがあります。行人は内卦が動き外卦が止まるので、出発していても外事に阻まれています。上九には涉川の象があり、水路で来ることもあり、近ければ六七日、遠ければ六七か月です。
失物は、山下に雷があるように、重い物の下に押されて見えにくく、後に得ます。訴訟は、多く言語や飲食の小事から起こり、上の人が止めるので長く続きにくい。婚姻は、婦人が中饋を主り家を養う象があり、外に夫、内に妻、内が動き外が止まる形で、おおむね吉です。妊産は男を主に見ます。
実際の読み方
事業では、事業の形が本当に人と自分を養えるかを見ます。家庭では、食、金、介護、世話の責任が偏っていないかを見ます。関係では、互いに滋養しているか、ただ取り合っているかを見ます。公共のことでは、頤は「乱を止めるだけでは足りず、民を養う源を開け」と教えます。
初爻
一言で読む
自分で養える力を捨て、人の口元ばかり羨めば凶です。
現代語訳
あなたの霊亀を捨て、私が口を動かすのを見ています。凶です。霊亀は飲まず食べず、自らその霊を養う象です。初九は一陽の始めで、本来は自守、自養、自明の根があります。それなのに自分の霊亀を捨て、人が口を開いて食べる姿を見ています。これは内を捨て外へ求め、正を捨てて貪りへ行くことです。
朶頤は、口を大きく動かし食べたがる姿です。高島は、六四が初九に向かって、あなたには本来の霊明があり、外へ求めなくてもよいのに、なぜ私の口食を見ているのか、と言うように読みます。人が本来、徳、才能、正業によって自分を養えるのに、他人の享受を羨み、貴人に乞い、欲を満たしてもらおうとすれば、貴くありませんし、凶に近づきます。
高島が友人の私的な貴顕謁見を占って初九を得た例があります。内の震は動きたがり、外の艮は止めるので、来占者は動こうとしても貴顕に止められると読みました。観我朶頤は口腹の欲が尽きない求めであり、このような求見は成らず、かえって責めを受ける恐れがあるとしました。後に友人は貴顕に会おうとして、実際に拒まれました。
実際の読み方
事業では、他人の資源や地位を眺めるより、先に自分の力を養います。功名では、内を捨て外名だけを慕っても、実学は成りません。売買では、利があっても人に食われる恐れがあります。婚姻は礼物や利益で両家が合わず、成りにくい。訴訟は口舌から起こり、互いに自説を持ってすぐには解けません。病は飲食の不節に関わることが多いです。
二爻
一言で読む
養いを求める方向を取り違え、常道に背いて進めば凶です。
現代語訳
逆さまに養いを求め、常道に背いて、丘に養いを求めます。進めば凶です。顛は倒れること、払は背くこと、経は常理です。養いの常道は、下が上を奉じ、上が下を養い、それぞれの分に安んじることです。六二は陰柔で自立できず、本来は正道に従って養いを求めるべきなのに、逆に初九へ倒れ、求めるべきでない所に求めます。これが顛倒であり、常道に反することです。
これは、単に下へ求めるから悪いという話ではありません。役割と責任が逆になることが問題です。子が親を養えず、かえって父母を耗らす。臣が上を助けず、私的な援助へ傾く。商人が正業で利を得ず、常理に反した出入りで口食を求める。こうした求養は、動けば凶です。
高島は、医師伊藤某の子の終身運を占って六二を得ました。その子は横浜で商業をしていました。高島は、この子は才智が弱く、事業を興すには足りない。本来は商業で得たものによって親を養うべきなのに、かえって父の資産を耗らすだろう、と読みました。また共に働く者も良い類ではないので、すぐ閉店すべきだと告げました。父は感服して命じましたが、子は従わず、最後には産業を蕩尽しました。
実際の読み方
戦いでは、規律が乱れ、歩調が合わず、大凶です。商いでは、売買の出入りが常理に合わず、損をしやすい。功名では幸運だけを頼んで成ろうとしても安定しません。婚姻では役割と名分が正しくなく、吉になりにくい。家庭財務では、特に若い者が自立せず、長上の財を耗らすことを防ぎます。
三爻
一言で読む
生活や利益の求め方を間違えたまま押し通すと、長く道が開かず利がありません。
現代語訳
養いに背きます。正しく固守しても凶です。十年用いてはいけません。利あるところはありません。六三は陰柔で中正を失い、下卦の極にいます。求養の道をすでに大きく誤っています。上九に応じていますが、正道で応じるというより、上に媚び、養正の節を失う意味があります。だから払頤です。
十年用うる勿れは、機械的に十年だけを指すのではありません。長く事を成しにくいという意味です。もし人が、口体を養うこと、利益を求めること、誰かに依存することをすべてとし、媚び、奪い、親を耗らし、社会を乱して口食を求めるなら、一時それを貞く守っても、ただ凶を長引かせるだけです。高島は、これは頤養の道に大いに背くものだと言います。
高島は明治二十五年の国家気運を占って六三を得ました。人民にとって最も重いのは食で、一日食べなければ飢え、七日食べなければ死にます。人口が増え、開墾が追いつかず、多くの人が食を得られないなら、暴を禁じる法律だけでは足りません。飢えて泣く子に乳を与えず、泣き止めの苦い薬だけを飲ませるようなものです。荒地の開墾、公益事業、正当な生計を開くべきだと読みました。また衆議院占では、候補者の口先の求食ばかりを見て、真の才徳を見なければ国の盛衰が憂うべきものになるとしました。
さらに、ある友人の子についても六三を得ています。その子は教えを失い、酒食と遊楽に流れ、父の資産を使い果たし、また父に救済を求めました。高島は、長い困苦を経て十年後に悔悟するかもしれない、今は基本の口食だけ与え、欲を縦にしてはいけないと告げました。
実際の読み方
事業では、商いがただ利を追って正道を失えば、大小遠近を問わず利を得ません。功名では、人を救う力がなく、自分が用いられることだけを求めても成りません。家宅は長く人が住まない、または養いの道が正しくない時に不利です。婚姻は名分と貞正に問題があります。公共政策では、乱を止めるだけでなく、民の生計の源を整えなければなりません。
四爻
一言で読む
人を支える立場では、温情だけでなく警戒と節度を備えるほど吉です。
現代語訳
逆さまに養いますが吉です。虎がじっと見るようにし、求める心は続きますが、咎はありません。六二の顛頤は下がさらに下へ求めるので凶でした。六四の顛頤は、上位者が下へ向かって養う形なので吉です。六四は柔で正を得ており、初九に応じます。上から下を養うことは、頤の正しい用です。
虎視眈眈は、凶暴に人を害する意味ではありません。威厳と警覚があることです。六四は艮に属し、艮には虎の象があります。下の初九を見て、民を養い、下情を察し、同時に貪求や奸曲を防ぎます。上位者が下を養う時、温情だけで審察がなければ、中間で食い物にされます。威だけで養いがなければ、頤の道を失います。六四は、威があって猛すぎず、欲があって節があるので咎がありません。
高島は、内務省参事官松本郁郎が災区へ赴くことを占って六四を得ました。震災の後、民は食を得られず、朝廷が粟を出して救済する。これは上が下を養うので顛頤の吉です。災民が食を求めるのは飢えた虎のようで、怪しむべきではありません。ただし、救済の金穀を狙い私腹を肥やす奸吏を防ぐ必要があります。変卦は噬嗑で、罰を明らかにし獄を用いる象があるため、被災民を恤みながら奸吏を罰するべきだと読み、後にその通りになりました。また、ある貴顕の占では、宰輔の象があり、群動を鎮め、群生を養い、威厳があり欲が少ないと読みました。
実際の読み方
救災、管理、慈善、財政では、養うべきものは養い、帳目は明らかにします。戦いでは精鋭を養ってから用い、威勢だけで軽く進みません。売買では物価が一時倒れても、低い時に仕入れることができます。ただし貪りすぎません。功名は龍虎が昇る兆しがあります。家宅は右側の高山や白虎の勢いが強いことがあり、正しければ大過はありません。
五爻
一言で読む
自分の力だけで大養を担えない時は、賢に従って守れば吉、険には出ません。
現代語訳
常道に背きます。本位に正しく居れば吉です。大川を渡ってはいけません。六五は尊位にいますが、陰柔です。下に応じる相手がなく、上九の賢に親しむしかありません。常理では君位が人を養うべきですが、ここでは上九の賢に頼って養いの道を成します。そのため、少し常道に反するので払経と言います。
しかし六五は六二、六三とは違います。吉は払経にあるのではなく、居貞にあります。自分一人で大養を担えないことを知り、本位に安んじ、賢者に従い、妄りに動かず、険を渉らない。これなら吉です。高島は、五体は艮で、艮は止を主るので、この時は守るべきで行くべきではないと言います。中が虚で険もあるため、大川を渉ってはいけません。
高島は、増上寺の仏殿再建を占って六五を得ました。僧たちは募化して再建を進めていましたが、物価高で工事が未完のまま資金不足となりました。高島は払経から、維新以後の仏制改革で、肉食や妻帯など旧禁が変わり、仏経の本意に背く面があると述べました。しかし仏家の宗旨は一つではなく、安居して正を守るなら吉であり、俗人と利を争い、欲を追って険へ出るなら不可だと読みました。また五爻が順って上に従うので、明年には成り、後に慶びがあるとしました。
実際の読み方
戦いでは固守がよく、進攻はよくありません。特に川を軽く渡ることを避け、伏兵や風波を防ぎます。商いでは、店を守る商売に利があり、遠方へ貨物を運ぶことや海外貿易には不利です。功名では、外へ出て試験や競争をするのは成りにくい。家宅は山居が吉で、江河や水辺に近いのは不利です。婚姻は名分に少し不正があっても、一人に従って終えるならまだ保てます。病は安居静養がよく、遠行して風雨に当たれば治りにくいです。
上爻
一言で読む
多くの養いが自分に由る重責では、危うさを忘れず慎めば吉で大難も越えられます。
現代語訳
養いがここから出ます。危ういけれど吉です。大川を渡るのに利があります。由頤とは、この卦の養いの道が上九によって出るという意味です。初九も陽ですが下にあり、力はまだ小さい。上九は最上にあり、艮陽の極で、徳は人を養うに足ります。卦中の四陰は、みな上九によって養われる形です。だから責任が最も大きい。
責任が大きいので厲です。上九が少しでも驕り怠れば、上から疑われ、下から怨まれ、危険になります。高島は伊尹や周公を例に挙げます。大任を担った人は、みな憂い、勤め、恐れ慎んだから、最後に吉を得ました。厲は凶ではなく、常に危うさを思い、勤慎を怠らないことです。それができれば、自分を養うことから人を養うことへ、さらに天下を養うことへ進めます。
六五は居守できても大川を渉れません。上九は渉れます。陽剛の才と養人の徳があり、天下の大任と艱難を担えるからです。戦いでは、平日に兵を養い、危急にあたって同心して険を渉る象です。商業では、身と家を養うため、やむを得ず遠く重洋を渡り、険を経て利を得る象です。功名では、小から大へ、卑から尊へ、憂勤惕厲によって成ります。
高島は毎年冬至に翌年の吉凶を占いました。明治二十二年冬に頤上九を得た後、麦作の豊凶を問われ、翌年は雨が多く麦作はよくないが、後半はまだ可であると読みました。前年の水災と穀物不作に加え、春麦も豊かでなければ民食は困り、米価は高くなる。政府は備荒金で外国米を買い、海路で港へ入れて民の飢えを救うべきで、これが利涉大川だとしました。後に政府は実際に外国米を買い、諸港で売り出して民心を安定させました。
実際の読み方
事業では、上九は養われる立場ではなく、人を養う立場です。リーダーは人を養う力があるなら、勤慎を忘れてはいけません。遠行や大事業では、平日から準備が厚く、衆人が同心しているなら険を渉れます。病は危うくても救いがあります。妊産は男を主とし、喜びがあります。
山雷頤:読みの覚え
山雷頤は、何で人を養い、何で自分を養うかを問う卦です。口に入るもの、口から出る言葉、生活の糧まで含めて見ます。
何を入れ、何を出すか
頤の養いは、量より正しさです。飲食、言葉、情報、収入の得方が身と心を作ります。
何を取り込み、何を与えるか。人を養う立場にある時ほど、温情だけでなく警戒と節度も必要になります。
立てておきたい問い
- 私を養っているものは、体と心を本当に育てていますか。 - 人の口元ばかり見て、自分の養いを失っていませんか。 - 言葉で誰かを養っていますか、それとも消耗させていますか。
養いの道を正す
食生活、教育、収入、発信、介護では、養いの道を正します。何を食べ、何を語り、どんな仕事で糧を得ているかを見直すと、頤の答えは具体的になります。
あわせて読む
水風井は共同体を養う公共の源で、山雷頤は一人一人の口と養いの道です。風沢中孚と読むと、言葉の誠が養いになるかが見えてきます。
本卦の問い
私を養っているものは、体と心を本当に育てていますか。
量が多くても、身心を濁らせるものは養いとは言えません。食べ物、情報、人間関係、仕事の糧を具体的に見ます。
人の口元ばかり見て、自分の養いを失っていませんか。
人を養うために、自分の食事、休息、言葉、収入の道が崩れているなら長続きしません。まず養いの源を整えます。
言葉で誰かを養っていますか、それとも消耗させていますか。
言葉も口から出る養いです。安心、知恵、勇気を与える言葉か、噂、不安、皮肉で相手を削る言葉かを見分けます。
本ページの現代語訳は gaodaoyijing.com が独自に整理・翻訳したものです。© 2026 gaodaoyijing.com。無断転載、複製、機械的な大量取得、商用データベースでの利用を禁じます。