六十四卦 意味・読み方
山雷頤|意味・卦辞爻辞解説(さんらいい)
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本ページは公開資料をもとに、卦辞、彖伝、象伝、占断、爻辞、占例を現代日本語で整理したものです。
引
山雷頤は養いの卦です。身体も言葉も生計も、何をもって養うのかを問います。
卦象と卦名
頤は上が艮山、下が震雷です。卦の形は上下の陽爻が上下の唇のようで、中の四陰が虚に開き、一つの口に見えます。口は食べる所であり、話す所でもあります。人は口から養いを取り、口から言葉を出し、口によって生を保つ一方、口によって禍も招きます。ですから頤は、単なる飲食の卦ではありません。ここに置かれているのは、何によって生きるか、何で自分を養うか、何を使って人を養うか、という広い問いです。
卦の中心的な意味
震は下にあって動き、艮は上にあって止まります。口は動きたがります。食べたい、言いたい、求めたい。上に止めがなければ、それは貪食、妄言、求養の乱れになります。頤が問うのは、多く食べたか多く得たかということより、養うところが正しいかどうかです。食が正しく、言が正しく、生計が正しく、人を養う道が正しければ吉です。口腹のために廉恥を捨てれば凶です。
序卦伝は、物が蓄えられてから養うことができるので、大畜の後に頤が来ると言います。大畜は力や資源を蓄える卦でした。頤は、その蓄えを用いてどう身を養い、徳を養い、人を養うかを問います。社会も同じで、資源があるだけでは足りません。民はどう生計を得るのか、政府はどう救済するのか、人材はどう支えられるのか。そこまで見て、はじめて養いの話になります。
向いている問い
頤を得たら、まず入口と出口を見ます。何を食べ、何を信じ、どんな情報を吸収しているか。何を語り、どんな命令を出し、どんな約束を口にしているか。
さらに口実を見ます。何によって生活しているか。その生計は正当か。人の廉恥や正道を傷つけていないか。頤卦でいちばん危ういのは、養いを求めるうちに正を失ってしまう筋道です。
卦辞
養いは正しくて初めて吉です。人を観るなら、何を養い、何で自分を養うかを見ます。
原文
頤:貞吉。観頤、自求口実。
書き下し文
頤は、貞しければ吉なり。頤を観て、自ら口実を求む。
現代語訳
頤は、正しく守れば吉です。養いを見る。自分で食べるもの、生活の根拠を求めます。
卦辞の読み解き
養いは正を守って初めて吉です。そして人を観る時は、その人が何を養っているか、どう自分の食べるもの、生活の根拠を得ているかを観ます。
観頤という二字が要になります。その人が何を養うかを見れば、公か私かが分かります。自分をどう養うかを見れば、廉か貪かが分かります。賢を養い、民を養い、徳を養うのは大きな養いです。口腹、虚栄、欲望だけを養うのは小さな養いであり、時には邪な養いです。頤は生計を求めること自体を否定しません。生きるために働くのは当然です。分かれ目は、生活のために正道まで手放すかどうかにあります。
養の道は静を主とします。天地万物の多くは、上が動き下が止まる形を持ちます。しかし頤は下が動き上が止まります。口の欲が下で動くので、上に止めが必要なのです。人が頤を観て節制を知れば、嗜欲は減り、廉恥は立ち、心志は安らぎます。養生と養徳はここでつながります。
自求口実は、突き放した言葉ではありません。人は正当な能力によって自分を養うべきだ、という励ましです。士は禄位を得、農は耕作し、工は器物を作り、商は貨財を通じさせます。それぞれがその力で食べます。恒産も正当な生計もなければ、人は邪へ流れ、廉恥と道を失いやすくなります。頤は個人の生計と社会の養民を、一つの問題として見ています。
実際の読み方
仕事では、収入源が正当で、安定し、人を養い自分を養えるかを見ます。健康では、飲食、起居、欲望の節制が中心です。関係では、互いに滋養しているのか、一方が奪うばかりなのかを見ます。組織では、賢才を養っているのか、機嫌を取る人だけを養っているのかを見ます。
頤の吉は、食べる量では決まりません。養いが正しいかどうかで決まります。
彖曰
養う道は一人の口から天地と国家へ広がり、正しく養う時にだけ万民まで届きます。
原文
頤貞吉、養正則吉也。観頤、観其所養也、自求口実、観其自養也。天地養万物、聖人養賢、以及万民、頤之時義大矣哉!
書き下し文
頤は貞しければ吉なりとは、正しきを養えば則ち吉なればなり。頤を観るとは、其の養う所を観るなり。自ら口実を求むとは、其の自ら養うを観るなり。天地は万物を養い、聖人は賢を養いて、以て万民に及ぼす。頤の時義大なるかな。
現代語訳
頤が正しくて吉とは、正しいものを養えば吉ということです。頤を見るとは、その人が養うものを見ることです。自分で食べるものを求めるとは、その人が自分をどう養うかを見ることです。天地は万物を養い、聖人は賢者を養って万民に及ぼします。頤の時の意味は大きい。
彖伝の読み解き
この一段は、頤を個人の口から天地と政治の養いへ押し広げます。
養正は、健康な食事だけを指す狭い言葉ではありません。養う対象、養う方法、養う動機のどれもが正しい、という意味です。賢才を養うのは正、貪欲を養うのは偏り。民生を養うのは正、自分に依存する私党だけを養うのは偏り。自分の力で食べるのは正、媚びや欺きや侵奪で口食を得るのは偏りです。
頤卦は二面に分けて読めます。下三爻は多く自養を語り、上三爻は多く養人を語ります。自養が口体だけにとどまれば私であり、小さい。養人が徳と賢と民に及べば公であり、大きい。ただし自養でも養人でも、要は正を得ているかどうかです。正を失えば、養えば養うほど悪くなり、求めれば求めるほど失います。
国家に当てれば、人民にはそれぞれの口があり、それぞれが口実を求めます。政府は刑法で乱を止めるだけでは足りません。生活の源を開く必要があります。租税を軽くすべき時は軽くし、飢饉には糧を出し、病には薬を与え、賢者を尊び才能を養います。これが天地の好生に近い養いです。救済を名声の道具にした時点で、頤の正はもう失われています。
実際の読み方
頤を読む時は四つを問います。自分は何を養っているか。何によって自分を養っているか。何を用いて他人を養っているか。その養いは、人をより有徳にし、安定させ、自立させているか。
頤は飲食から始まりますが、飲食で終わりません。口、言葉、生計、政治、救済、教育まで、すべてが養いの問題として並びます。
象曰
口から入る飲食と口から出る言葉を節すれば、身も家もおのずと整っていきます。
原文
山下有雷、頤、君子以慎言語、節飲食。
書き下し文
山の下に雷有るは頤なり。君子以て言語を慎み、飲食を節す。
現代語訳
山の下に雷があるのが頤です。君子はこれを見て、言葉を慎み、飲食を節します。
象伝の読み解き
雷は山の下にあり、動こうとします。山は上にあって止めます。これは人の口によく似ています。食べたい、言いたい、求めたいという動きがあり、それを上から止めて節する必要があります。
言語は禍福の入口です。言葉を慎まなければ、命令、約束、怨み言、軽口が後の災いになります。飲食は病の入口です。過食、味への貪り、起居の乱れは身体を傷めます。頤卦が慎言と節食を並べて説くのは、どちらも同じ口から出入りするからです。
この象は広く推し及ぼせます。小さくは個人の飲食と言葉、大きくは政府の命令、財政の収入、資源の配分。命令は出口なので慎み、財貨は入口なので節します。さらに高く言えば、徳を養うことがそのまま天下を養うことにつながります。
実際の読み方
健康を問うなら、まず飲食と起居を改めます。口舌是非を問うなら、急な言葉、満口の言葉、怨みの言葉を減らします。管理では、命令を朝令暮改にしません。財務では、入るものにも出るものにも節度を置きます。
頤の象は、口のことを軽く見るなと言います。口から入るもの、口から出るものは、最後には身体、関係、家運、事業の形になります。
占断
飲食、言葉、生計、人を養う仕組みを正す時です。貪食や妄言で道を失えば凶に転じます。
総合的な占意
頤を得た時は、飲食、言葉、生計、人を養う仕組みが正道にかなっているかを見ます。何を得るかにとどまらず、何によって自他を養い、その養い方が長く続くのかまで確かめます。
項目別の占断
- 戦いと功名:部下の妄動、機密漏洩、酒食の争いを防ぎます。功名は雷が山を鳴らすように声名が上がる象です。
- 商い:内地では値上がりし外地では下がる、または外地で一時売れないことがあります。食品類との縁が深い時です。
- 家宅と病:地盤の震動と火災に注意します。病は上焦の寒閉と下焦の熱泄を見て、上下の気を通します。
- 行人と失物:行人は外事に阻まれ、水路で来ることがあります。失物は重い物の下に隠れ、後に見つかります。
- 訴訟、婚姻、妊産:言葉や飲食からの争いは早く止めます。婚姻はおおむね吉です。妊産は、古い占断だと男子に見ます。
六爻の要点
- 初九:自分で養える力を捨て、人の口元を羨めば凶になります。
- 六二:養いを求める方向を取り違え、常道に背いて進めば凶となります。
- 六三:生活と利益の求め方を誤ったまま押し通せば、長く利がありません。
- 六四:人を支える立場では、温情に警戒と節度を加えて吉となります。
- 六五:自力で大養を担えない時は賢者に従って守り、険へ出ません。
- 上九:多くの養いが自分に由る重責を慎んで担えば、大難も越えられます。
実際の読み方
事業では、その形が本当に人と自分を養えるかを見ます。家庭では、食、金、介護、世話の責任が誰か一人に偏っていないかを見ます。関係では、互いに滋養しているのか、ただ取り合っているだけなのかを見ます。公共のことでは、頤は「乱を止めるだけでは足りず、民を養う源を開け」と教えます。
初爻
自分で養える力を持ちながら人の口元ばかり羨むなら、凶を招きます。
原文
初九:舍爾霊亀、観我朶頤、凶。
書き下し文
初九、爾の霊亀を舍てて、我が朶頤するを観る、凶なり。
現代語訳
あなたの霊亀を捨て、私が口を動かすのを見ています。凶です。
爻辞の読み解き
霊亀は飲まず食べず、自らその霊を養う象です。初九は一陽の始めで、本来は自守、自養、自明の根があります。それなのに自分の霊亀を捨てて、人が口を開いて食べる姿を眺めています。内を捨てて外へ求め、正を捨てて貪りへ向かう姿です。
朶頤は、口を大きく動かして食べたがる姿です。ここは六四が初九に向かい、あなたには本来の霊明があり外へ求めなくてもよいのに、なぜ私の口食を見ているのか、と問う場面と読めます。人は本来、徳と才能と正業によって自分を養えます。それなのに、他人の享受を羨み、貴人に乞い、欲を満たしてもらおうとすれば、貴くありませんし、凶に近づきます。
実際の読み方
事業では、他人の資源や地位を眺めるより、先に自分の力を養います。功名では、内を捨て外名だけを慕っても、実学は成りません。売買では、利があっても人に食われる恐れがあります。婚姻は礼物や利益で両家が合わず、成りにくいでしょう。訴訟は口舌から起こり、互いに自説を持ってすぐには解けません。病は飲食の不節から来ることが多いようです。
高島の占例
友人が私的な貴顕への謁見について占い、初九を得たことがあります。内の震は動きたがり、外の艮は止めるので、来占者が動こうとしても貴顕のほうで止められる、と高島は読みました。観我朶頤は口腹の欲が尽きない求めであり、このような求見は成らず、かえって責めを受ける恐れがあるとしました。後に友人は貴顕に会おうとして、実際に拒まれました。
二爻
養いを求める向きが逆さまです。常道に背いたまま進めば凶となります。
原文
六二:顛頤、拂経、于丘頤、征凶。
書き下し文
六二、顛しまに頤い、経に拂り、丘に于いて頤う、征けば凶なり。
現代語訳
逆さまに養いを求め、常道に背いて、丘に養いを求めます。進めば凶です。
爻辞の読み解き
顛は倒れること、払は背くこと、経は常理です。養いの常道では、下が上を奉じ、上が下を養い、それぞれの分に安んじます。六二は陰柔で自立できず、本来は正道に従って養いを求めるべきなのに、逆に初九へ倒れ、求めるべきでない所に求めます。これが顛倒であり、常道に反する形です。
下へ求めること自体が悪いわけではありません。役割と責任が入れ替わってしまうところに難があります。子が親を養えず、かえって父母を耗らす。臣が上を助けず、私的な援助へ傾く。商人が正業で利を得ず、常理に反した出入りで口食を求める。こうした求養は、動けば凶です。
実際の読み方
戦いでは規律が乱れ、歩調も合わず、大凶です。商いでは売買の出入りが常理に合わず、損をしやすいでしょう。功名では幸運だけを頼んで成ろうとしても安定しません。婚姻では役割と名分が正しくないので、吉になりにくいでしょう。家庭財務では、特に若い者が自立せず、長上の財を耗らすことを防ぎます。
高島の占例
医師伊藤某の子の終身運を占って六二を得たことがあります。その子は横浜で商業をしていました。才智が弱く事業を興すには足りない、本来は商業で得たもので親を養うべきなのに、かえって父の資産を耗らすだろう、というのが高島の見立てです。共に働く者も良い類ではないから、すぐ閉店すべきだと告げました。父は感服して命じましたが、子は従わず、最後には産業を蕩尽しました。
三爻
求め方を誤ったまま押し通せば、十年のあいだ道は開かず、利もありません。
原文
六三:拂頤、貞凶、十年勿用、無攸利。
書き下し文
六三、頤に拂る、貞なるも凶なり、十年用うる勿かれ、利する攸なし。
現代語訳
養いに背きます。正しく固守しても凶です。十年用いてはいけません。利あるところはありません。
爻辞の読み解き
六三は陰柔で中正を失い、下卦の極にいます。求養の道をすでに大きく誤っています。上九に応じてはいますが、正道で応じるというより、上に媚びて養正の節を失う形です。だから払頤と言います。
十年用うる勿れは、暦のうえの十年だけを指す言葉ではありません。長く事を成しにくい、という意味に読みます。もし人が、口体を養うこと、利益を求めること、誰かに依存することをすべてとし、媚び、奪い、親を耗らし、社会を乱して口食を求めるなら、一時それを貞く守ったところで、凶を長引かせるだけに終わります。頤養の道に大きく背く形であり、高島の断じ方もここは厳しいものです。
実際の読み方
事業では、商いがただ利を追って正道を失えば、大小遠近を問わず利を得ません。功名では、人を救う力がなく、自分が用いられることだけを求めても成りません。家宅は長く人が住まない、または養いの道が正しくない時に不利です。婚姻は名分と貞正のところに問題が残ります。公共政策では、乱を止めるだけでなく、民の生計の源を整えなければなりません。
高島の占例
占例1
明治二十五年の国家気運を占って六三を得たことがあります。人民にとって最も重いのは食で、一日食べなければ飢え、七日食べなければ死にます。人口が増え、開墾が追いつかず、多くの人が食を得られないなら、暴を禁じる法律だけでは足りません。飢えて泣く子に乳を与えず、泣き止めの苦い薬だけを飲ませるようなものです。荒地の開墾、公益事業、正当な生計を開くべきだ、というのが高島の読みでした。
占例2
衆議院を占ったときも同じ爻で、候補者の口先の求食ばかりを見て真の才徳を見ないなら、国の盛衰は憂うべきものになるとしています。
占例3
ある友人の子についても、同じ六三が出ました。その子は教えを失って酒食と遊楽に流れ、父の資産を使い果たしたうえ、また父に救済を求めています。長い困苦を経て十年後には悔悟するかもしれないが、今は基本の口食だけを与え、欲を縦にしてはいけない、というのが答えでした。
四爻
上から下を養う立場です。温情に警戒と節度が加わるからこそ、咎がありません。
原文
六四:顛頤吉、虎視眈眈、其欲逐逐、無咎。
書き下し文
六四、顛しまに頤うも吉なり、虎視眈眈たり、其の欲逐逐たれば、咎なし。
現代語訳
逆さまに養いますが吉です。虎がじっと見るようにし、求める心は続きますが、咎はありません。
爻辞の読み解き
六二の顛頤は下がさらに下へ求めるので凶でした。六四の顛頤は、上位者が下へ向かって養う形なので吉です。六四は柔で正を得ており、初九に応じます。上から下を養うのは、頤の正しい用です。
虎視眈眈が示すのは凶暴さではありません。威厳と警覚です。六四は艮に属し、艮には虎の象があります。下の初九を見て、民を養い、下情を察し、同時に貪求や奸曲を防ぐ。上位者が下を養う時、温情ばかりで審察がなければ、中間で食い物にされます。逆に威だけあって養いがなければ、頤の道そのものを失います。六四は威があって猛すぎず、欲があっても節があるので、咎がありません。
実際の読み方
救災、管理、慈善、財政では、養うべきものは養い、帳簿は明らかにします。戦いでは精鋭を養ってから用い、威勢だけで軽く進みません。売買では物価が一時倒れても、低い時に仕入れることができます。ただし貪りすぎてはいけません。功名は龍虎が昇る兆しです。家宅は右側の高山や白虎の勢いが強いことがあり、正しければ大過はありません。
高島の占例
占例1
内務省参事官松本郁郎が災区へ赴くにあたって占い、六四を得たことがあります。震災の後、民は食を得られず、朝廷が粟を出して救済します。上が下を養う形なので、顛頤の吉です。災民が食を求めるのは飢えた虎のようで、怪しむべきではありません。ただし、救済の金穀を狙い私腹を肥やす奸吏を防ぐ必要があります。変卦は噬嗑で、罰を明らかにし獄を用いる象があります。そこで、被災民を恤みながら奸吏を罰するべきだと高島は読み、後にその通りになりました。
占例2
ある貴顕を占ったときも同じ爻で、宰輔の象があり、群動を鎮めて群生を養い、威厳があって欲が少ないと読んでいます。
五爻
一人で大養は担えません。賢に従って本位を守るなら吉で、険へは出ないことです。
原文
六五:拂経、居貞吉、不可渉大川。
書き下し文
六五、経に拂る、貞に居れば吉なり、大川を渉るべからず。
現代語訳
常道に背きます。本位に正しく居れば吉です。大川を渡ってはいけません。
爻辞の読み解き
六五は尊位にいますが、陰柔です。下に応じる相手がなく、上九の賢に親しむしかありません。常理では君位が人を養うべきですが、ここでは上九の賢に頼って養いの道を成します。そのため、少し常道に反するので払経と言います。
ただし六五は、六二や六三とは違います。吉の根は払経ではなく居貞のほうにあります。自分一人で大養を担えないと知り、本位に安んじ、賢者に従い、妄りに動かず、険を渉らない。それなら吉です。五体は艮であり、艮は止を主ります。ですからこの時は守るべきで、進むべきではありません。中が虚で険もあるので、大川を渉ってはならないのです。
実際の読み方
戦いでは固守がよく、進攻はよくありません。とくに川を軽く渡ることは避け、伏兵や風波に備えます。商いでは、店を守る商売に利があり、遠方へ貨物を運ぶことや海外貿易には不利です。功名では、外へ出て試験や競争に臨んでも成りにくいでしょう。家宅は山居が吉で、江河や水辺に近いのは不利です。婚姻は名分に少し不正があっても、一人に従って終えるならまだ保てます。病は安居静養がよく、遠行して風雨に当たれば治りにくいです。
高島の占例
増上寺の仏殿再建を占って六五を得たことがあります。僧たちは募化して再建を進めていましたが、物価高で工事が未完のまま資金不足に陥っていました。払経の語から、維新以後の仏制改革で肉食や妻帯など旧禁が変わり、仏経の本意に背く面があると高島は述べます。そのうえで、仏家の宗旨は一つではないから、安居して正を守るなら吉、俗人と利を争い欲を追って険へ出るなら不可だと読みました。また五爻が順って上に従うので、明年には成り、後に慶びがあるとしました。
上爻
多くの養いが自分に由る重責です。危うさを忘れず慎むなら、大川さえ渡れます。
原文
上九:由頤、厲吉、利渉大川。
書き下し文
上九、由りて頤わる、厲うけれども吉なり、大川を渉るに利あり。
現代語訳
養いがここから出ます。危ういけれど吉です。大川を渡るのに利があります。
爻辞の読み解き
由頤とは、この卦の養いの道が上九から出るということです。初九も陽ですが下にあって、力はまだ小さいままです。上九は最上にあり、艮陽の極として、徳が人を養うに足ります。卦中の四陰はみな上九に養われる形なので、責任もいちばん重くなります。
責任が大きいので厲です。上九が少しでも驕り怠れば、上から疑われ、下から怨まれ、危険になります。ここで高島が引くのは伊尹や周公です。大任を担った人はみな憂い、勤め、恐れ慎んだからこそ、最後に吉を得ました。厲は凶を意味しません。常に危うさを思い、勤慎を怠らないという合図です。それができれば、自分を養うことから人を養うことへ、さらに天下を養うことへ進めます。
六五は居守はできても大川を渉れませんでした。上九は渉れます。陽剛の才と養人の徳があり、天下の大任と艱難を担えるからです。戦いでは、平日に兵を養い、危急にあたって同心して険を渉る象です。商業では、身と家を養うためにやむを得ず重洋を渡り、険を経て利を得る象があります。功名は、小から大へ、卑から尊へと、憂勤惕厲によって成ります。
実際の読み方
事業でいえば、上九は養われる側ではありません。人を養う側に立っています。リーダーは人を養う力があるなら、勤慎を忘れてはいけません。遠行や大事業では、平日から準備が厚く、衆人が同心しているなら険を渉れます。病は危うくても救いがあります。妊産は男子を主として、喜びを伴います。
高島の占例
高島は毎年冬至に翌年の吉凶を占っています。明治二十二年冬に頤の上九を得た後、麦作の豊凶を問われ、翌年は雨が多く麦作はよくないが、後半はまだ可であると読みました。前年の水災と穀物不作に加え、春麦も豊かでなければ民食は困り、米価は高くなります。政府は備荒金で外国米を買い、海路で港へ入れて民の飢えを救うべきで、これが利渉大川だとしました。後に政府は実際に外国米を買い、諸港で売り出して民心を安定させました。
山雷頤:読みの覚え
山雷頤は、何で人を養い、何で自分を養うかを問う卦です。口に入るもの、口から出る言葉、生活の糧まで含めて見ていきます。
何を入れ、何を出すか
頤の養いは、量より正しさで測ります。飲食、言葉、情報、収入の得方が、そのまま身と心を作っていくからです。何を取り込み、何を人へ渡しているのか。入口と出口を並べて眺めるところから始めます。
口をめぐる三つの点検
- 私を養っているものは、体と心を本当に育てていますか。 - 人の口元ばかり見て、自分の養いを失っていませんか。 - 言葉で誰かを養っていますか、それとも消耗させていますか。
養う側に回ったとき
六四の虎視眈眈は、上位者が下を養う時の姿勢です。温情だけで審察がなければ、救いの原資は途中で食い物にされます。威だけで養いがなければ、そもそも頤の道から外れます。 上九まで来れば、養いの多くが自分に由ります。責任が重い分だけ危うさも増すので、勤慎を手放さないことが、そのまま吉につながります。
養いの道を正す
食生活、教育、収入、発信、介護では、まず養いの道筋を正します。何を食べ、何を語り、どんな仕事で糧を得ているのか。そこを具体的に見直すと、頤の答えはたいてい形になって現れます。
蒙と鼎に照らす
山水蒙とあわせると、蒙は教えを受けて理解を開くこと、頤は理解した後に日々何を取り入れて正しさを養うかを問います。火風鼎とあわせれば、頤は口へ入るものの源を見、鼎は材料を煮て人を養うものへ変える働きを見る違いが分かります。
山雷頤:読みの覚え札記を開く
山雷頤は、何で人を養い、何で自分を養うかを問う卦です。口に入るもの、口から出る言葉、生活の糧まで含めて見ていきます。
何を入れ、何を出すか
頤の養いは、量より正しさで測ります。飲食、言葉、情報、収入の得方が、そのまま身と心を作っていくからです。何を取り込み、何を人へ渡しているのか。入口と出口を並べて眺めるところから始めます。
口をめぐる三つの点検
- 私を養っているものは、体と心を本当に育てていますか。 - 人の口元ばかり見て、自分の養いを失っていませんか。 - 言葉で誰かを養っていますか、それとも消耗させていますか。
養う側に回ったとき
六四の虎視眈眈は、上位者が下を養う時の姿勢です。温情だけで審察がなければ、救いの原資は途中で食い物にされます。威だけで養いがなければ、そもそも頤の道から外れます。 上九まで来れば、養いの多くが自分に由ります。責任が重い分だけ危うさも増すので、勤慎を手放さないことが、そのまま吉につながります。
養いの道を正す
食生活、教育、収入、発信、介護では、まず養いの道筋を正します。何を食べ、何を語り、どんな仕事で糧を得ているのか。そこを具体的に見直すと、頤の答えはたいてい形になって現れます。
蒙と鼎に照らす
山水蒙とあわせると、蒙は教えを受けて理解を開くこと、頤は理解した後に日々何を取り入れて正しさを養うかを問います。火風鼎とあわせれば、頤は口へ入るものの源を見、鼎は材料を煮て人を養うものへ変える働きを見る違いが分かります。
この卦を読む前に
本卦、動爻、問いを照らす
卦は一ページだけで読み切るより、問いの置き方、動いた爻、六十四卦全体の流れと合わせて見ると見え方が落ち着きます。
関連記事
本卦の問い
頤が出たら、まずどこを見ればよいですか。
入口と出口です。何を食べ、どんな情報を取り込み、どんな言葉を出しているか。量が多くても身心を濁らせるものは、この卦では養いに数えません。
人を養う側にいますが、優しさだけでは足りませんか。
足りません。六四が虎の目を持つように、温情には警戒と節度が要ります。帳簿を明らかにし、途中で掠め取る者を見張ってこそ、養いは相手まで届きます。
つい他人ばかり羨んでしまいます。どう立て直しますか。
初九の霊亀が目印です。自分の徳や技や正業という養いの源が、手元にすでにあるかを確かめます。そこを働かせずに人の口元を見ているうちは、求めるほど遠のきます。
いまの仕事で食べるのが苦しい時も、この卦は我慢しろと言うのですか。
いいえ。自求口実は、正当な力で自分を養えという励ましです。生計を求めること自体は少しも咎められません。とがめられるのは、糧のために正道まで手放す時だけです。
頤が出たら、まずどこを見ればよいですか。開く
入口と出口です。何を食べ、どんな情報を取り込み、どんな言葉を出しているか。量が多くても身心を濁らせるものは、この卦では養いに数えません。
人を養う側にいますが、優しさだけでは足りませんか。開く
足りません。六四が虎の目を持つように、温情には警戒と節度が要ります。帳簿を明らかにし、途中で掠め取る者を見張ってこそ、養いは相手まで届きます。
つい他人ばかり羨んでしまいます。どう立て直しますか。開く
初九の霊亀が目印です。自分の徳や技や正業という養いの源が、手元にすでにあるかを確かめます。そこを働かせずに人の口元を見ているうちは、求めるほど遠のきます。
いまの仕事で食べるのが苦しい時も、この卦は我慢しろと言うのですか。開く
いいえ。自求口実は、正当な力で自分を養えという励ましです。生計を求めること自体は少しも咎められません。とがめられるのは、糧のために正道まで手放す時だけです。
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