高島易断
天雷無妄|意味・卦辞爻辞解説
天雷無妄䷘:一言で読む 天雷無妄は、私意や思い込みを混ぜず、真実で正しい道理から動く卦です。素朴であれば何でもよい、という意味ではありません。 現代語訳 無妄は上が乾天、下が震雷です。雷が天の下で動きます。震は動き、乾は天の健やかな道です。動きが天理に合い、人の私心や妄念を挟まないので、無妄と言います。これは幼稚な単純さではありません。何もしないことでもありません。動くなら、事実、正当性、自然の道理から動けという卦です。
導入
一言で読む
天雷無妄は、私意や思い込みを混ぜず、真実で正しい道理から動く卦です。素朴であれば何でもよい、という意味ではありません。
現代語訳
無妄は上が乾天、下が震雷です。雷が天の下で動きます。震は動き、乾は天の健やかな道です。動きが天理に合い、人の私心や妄念を挟まないので、無妄と言います。これは幼稚な単純さではありません。何もしないことでもありません。動くなら、事実、正当性、自然の道理から動けという卦です。
高島は無妄を「誠」として読みます。中庸の「至誠息むなし」に近い意味です。復の後に無妄が来るのも自然です。人が迷いから復ってくれば、もう妄ではない。復は人道における回頭であり、無妄は天道における真実です。乾は健、震は動。健やかに動き、その動きが天に合う時、それが誠であり、無妄です。
この卦は「自分には悪意がないから大丈夫」と読むと危険です。卦辞はすぐ「其れ正に匪ざれば眚あり」と戒めます。主観的に邪心がなくても、行いが正理に合わず、時と位に合わなければ、過ちが生まれます。無妄の基準は「私は悪くないと思う」ではありません。「この行動は、事実と正道に合っているか」です。
実際の読み方
無妄を得たら、まず動機と時位を調べます。幸運への期待、投機、過剰な願望、思い込みが混じっていないか。事実を見る前に、自分の想像で結論を作っていないか。
本分が明らかで、時に合い、正しいなら、行動は力強くてよい。けれども妄求や越権が混じれば、動くほど眚が出ます。無妄は、清い気分の卦ではなく、正しい根拠から動く卦です。
卦辞
一言で読む
私意なく動く道は大きく通るが、正から外れた瞬間に無妄ではなくなり、進めば過ちになります。
現代語訳
無妄は、大きく通り、正しく守ることが利です。それが正でなければ過ちがあり、往くところがあっても利はありません。つまり、無妄は正と一体であり、少しでも正理から外れれば妄となって過ちを生む、という字面です。無妄は乾徳を具えるので、元亨利貞と言われます。しかしこの四徳をまとめれば、結局は一つの正です。正であれば無妄、正でなければ妄です。一毫でも私意が混じれば、自然の理から外れます。
高島は、無妄とは天から受けた真実自然の理であり、人の私意を混ぜてはいけないものだと説きます。正でなければ妄で、妄は過ちを多くします。だから眚があります。すでに無妄であることを求めるなら、妄りに往くべきではありません。ここでの「往くに利なし」は、すべての行動を止める言葉ではなく、不正な動き、時位に合わない動きを戒める言葉です。
また、無妄では「災」と「眚」を分けて読むことが大切です。災は外から来る意外の禍で、必ずしも自分の責任ではありません。眚は自分の過度、偏り、不正から生じます。六三は無妄の災、九五は無妄の疾、上九は行って眚ありです。これらを全部「運が悪い」で片づけてはいけません。
実際の読み方
仕事では、目的、手順、時機が正しければ動けます。投機、虚名、過剰な期待で動くなら止まります。関係では、誠実な言葉は通じますが、試す、操る、わざと揺さぶるのは眚です。健康では、外から来た偶発か、自分の妄動で作った病かを分けます。
訴訟や競争では、堂々と正しく行えばよい。小細工で勝とうとすると、かえって禍を呼びます。無妄の吉は、正しいから吉なのであって、自分で無妄を名乗るから吉なのではありません。
彖伝
一言で読む
天理が内の主となって動く時だけ無妄で、正を外れた動きは善意に見えても助けられません。
現代語訳
剛が外から来て内の主となり、動いて健やかで、剛が中を得て応じます。大きく通って正しいのは天の命です。それが正でなければ過ちがあり、往くところがあっても利はありません。無妄のまま往くならどこへ行くのでしょう。天命が助けなければ、行けるでしょうか。つまり、無妄とは天理が内の主人となる動きであり、正を外れれば天も助けない、という字面です。
無妄では、内卦の初九が主です。この剛爻は乾天から来たように、震の動きの中へ入り、内側の主となります。下は震で動き、上は乾で健やかです。九五は剛中正で、六二と応じます。動きに力があり、しかも正しい位置に応じています。高島は、天が命じるものは誠、正、無妄だと言います。天命に合って動くなら、大いに亨り、正です。
しかし正理でなければ、自分で邪心がないと思っても、すでに妄に近い。程伝はここを細かく言います。「正に匪ず」と「不正」は少し違います。わざと悪いことをしなくても、正理に合わないことはあります。無妄卦の鋭さはここにあります。人事で言えば、無妄の誠は生まれながらの天命の性です。尭舜が中を執り、湯武が中を用い、孔子が時中を行ったのも、大亨以正です。しかし動きすぎ、健やかすぎ、剛すぎれば、力があるように見えても無妄から外れます。聖と狂の差は、このわずかな偏りにあります。
実際の読み方
無妄を読む時は、先に結果の吉凶を急ぎません。自分の一歩が天理に合うのか、自分の欲に合うだけなのかを見ます。時に順って物を養うのか、苗を引っ張って伸ばそうとしているのか。正々堂々の旗なのか、幸運狙いの術なのか。
無妄は不動の卦ではありません。動く卦です。ただし、動きの主人が天理でなければなりません。自分の焦りや期待を主人にすると、その瞬間に妄になります。
象伝
一言で読む
天の時に従って万物を育てるのが無妄で、人の願望で無理に曲げるものではありません。
現代語訳
天の下に雷が行き、物はともに無妄です。先王はこれを見て、盛んに時に応じ、万物を育てました。つまり、万物はそれぞれ天の時と性に従って動くので、人も時に応じて養うべきだ、という字面です。雷が天下に行けば、陽気が動き、虫は目覚め、草木は萌え、鳥獣もそれぞれの性に従って動きます。万物は自分の命に従って発し、乱れた妄りはありません。これが物与無妄です。
先王はこの象を取り、万物を人間の思い通りに強制するのではなく、天時に応じて育てました。春には生じ、夏には長じ、秋には収め、冬には蔵します。教育、政治、商業、農業、制度も同じです。時に応じて養う時、物はその性を尽くします。
高島は、無妄は時を行わせ物を生じさせ、物ごとにその与えられた性を全うさせると見ます。現代なら、子どもには成長の節があります。組織には成熟の節があります。病には回復の節があります。市場には需給の節があります。人の妄動は、その自然の誠を壊します。
実際の読み方
管理では、短期の数字のために無理に押し上げません。投資では、願望で周期を変えようとしません。教育では、性質と時期を見て育て、強く型へ押し込みません。健康では、自然に消化し解けるものを、強い処置で乱さないこともあります。
無妄の象は、天時に従い、万物を養うことです。正しい養いは放任ではなく、時を知った手入れです。
占断
一言で読む
無妄を得た時は、吉は真実と守正にあり、凶は幸運狙いと妄求にあります。自分のせいでない災もあるので、災と眚を分けます。
現代語訳
高島の総占では、時運は今その時を得て、百事によいとされます。商業では、大旱の後に雨を待つように、雷声が響けば人々が仰ぎ望み、貨物が来るとよく売れて利があります。家宅では、家の中に時々響きや動きがあっても大害なく、家運は旺んで人口も盛んです。戦いでは風雷が席巻する勢いがありますが、必ず正しい旗、正しい陣で行うべきです。詐術で勝とうとすれば禍があります。病は胸中の積物が動いてまだ化していない象で、時に従って運動し自然に消化させるとよく、薬なしに喜びがあることもあります。行人はすでに動身しており、その日に帰ることがあります。婚嫁は両家に素より往来があり、門第も相応して大吉。妊産は男を主とし、臨時に安産。失物は鼓のそば、磨の下、臼の側などを探します。天候は一雨の後に晴れます。
判断の細部は重要です。問いの本分が明らかなら、動きは力を持ってよい。しかし幸運狙い、投機、過剰期待が混じるなら、往くべきではありません。順に受けるべき時は受け、妄を止めるべき時は止めます。無妄は「よい人には災いが来ない」と保証しません。人は災と眚を分別し、災の中でも正を失わないことが求められます。
実際の読み方
仕事では、事実に従って進め、虚名や投機に頼りません。病では、薬や手術を急がず、自然に解ける病かどうかを見ます。関係では、試し行為や操作をしません。競争では、詐術で取らないことです。
無妄が最も恐れるのは、「自分は無妄だ」と言いながら実は正でないことです。誠実さは自己申告ではなく、行いが正理に合うことで示されます。
初爻
一言で読む
最初の誠が雑念に汚れていないなら、そのまま正しく進んで吉です。
現代語訳
無妄です。往けば吉です。つまり、私意のない最初の動きが天理に合うなら、進んで吉になる、という字面です。初九は内卦震の主であり、乾の剛から来た陽です。陽剛が初めて起こり、誠意はまだ散らず、雑念もまだ生じていません。性に率って動き、その動きが天に合います。象伝は、往いて志を得ると言います。誠が通じれば志も遂げられるという意味です。
初九の無妄は、最も清い動きです。計算で作ったものでも、見せ方で飾ったものでもありません。最初から虚妄がない。出行、求医、移転、進軍、商いなどに、往吉の象があります。
高島が角抵士の毛谷村六介の進歩を占って初九を得た例があります。毛谷村は土州の人で、体格が大きく、体重も非常に重い力士でした。高島は、上の乾を父、大、健とし、下の震を長男、足と見て、上体は大きく健やかだが下体が弱い、しかも初爻が動いて震の足を傷めるので足疾を恐れると読みました。また六二の耕さずして穫るという言葉に農をやめる象を見ました。後に毛谷村は実際に足を折り、別の仕事へ移りました。
実際の読み方
時運は今吉で、外へ出て働くのによく、閉じこもって守るには向きません。商業は行商に利があり、座して待つより動きます。家宅は移転によい。戦いは進むによい。病は外へ出て医を求めるとよい。行人は別件で他へ往くことも吉です。妊産は男を主とし、来月産む象があります。婚姻は婿入りが吉。失物は外を探します。
二爻
一言で読む
結果を先取りして求めず本分を尽くす人は、妄心がないので進んで利があります。
現代語訳
耕す時から収穫を先取りして望まず、開墾する時から熟田を求めないなら、往くところがあるのに利があります。つまり、今すべき本分を尽くし、結果を先に欲しがらないなら利がある、という字面です。乾は郊野、震は禾稼なので、高島は農の象を取ります。耕して後に穫り、荒地を開いて後に熟すのが常理です。しかし耕す時から収穫ばかりを計算し、開墾の時から成熟ばかりを求めるなら、そこに妄心が入ります。
この爻は、耕かなくても収穫できると言うのではありません。耕す時には妄りに収穫を求めず、開く時には妄りに熟成を求めない、という意味です。道を求めるのは禄のためではなく、徳を修めるのは名のためではありません。自分にある本分を尽くし、外から来る結果を先に占有しない。それが無妄です。
高島には二つの占例があります。明治十四年、熱海で大隈らがロシアと清国の境界争議を問うた時、六二を得ました。上乾をロシア、下震を清国と見て、乾金は巨鐘、震木は槌のようだが、清の力は弱くロシアに抗しきれず、終わりは和議になると読み、後にその通りになりました。また、東京青山の富商の本家と末家が争った時、本家が敗れて末家の産業を呑み込もうとしていました。高島は、末家には理の上で不満があっても、これは無妄の災として産を譲り、別に門戸を立てるのがよいと読みました。後に末家は再び盛んになりました。
実際の読み方
時運は正を得て、意外の財や禄が来ることがあります。商業では、謀らずして得るような大利があります。家宅では、相続の財や代々預かる田荘のような象です。戦いでは、勝とうとして勝つより、不勝の形から勝つことがあります。病は薬なしに喜びがあることがあります。婚姻は婿入りを主に見ます。行人は外で利を得て、すぐには帰らないことがあります。妊産は女を主に見ます。
三爻
一言で読む
自分の罪でない災いに巻き込まれる時は、誰が得て誰が疑われるかを冷静に分けます。
現代語訳
無妄の災いです。ある人が牛をつなぎ、通りすがりの人がこれを得て、邑の人が災いを受けます。つまり、自分が作ったわけではない出来事に巻き込まれ、近くにいる者が災いを受ける、という字面です。誰かが牛を繋いでおいた。通りかかった人がそれを無主の牛と思って連れて行く。役所が追及すると、近くの邑人がかえって災いを受ける。邑人がしたことではないのに、災いが落ちてくるので、無妄の災と言います。
高島は、六三は位が中正でなく、事が意外に出やすいと見ます。天数の中には、完全に避けきれない災もあります。三から五の互卦は離で、離は牛です。互艮には拘束の象があり、互巽は縄です。乾の健行は行人、震の守る所は邑人です。上が牛を得て、三が災いを受ける形になります。
高島が友人の商業上の約会を占って六三を得た時、友人はある人と今日会う約束をしていたが、突然家事で断られたと言いました。高島は、離を牛また女と見、寄託、離別、妊娠の象もあるとして、その人の家には遠来の親友がいて、女性を託す件、あるいは妊娠や離別の事があり、その寄託を受けるため友人にも災いが及ぶ恐れがあると読みました。数日後、事実は占辞に合いました。六三は、自分が招いたのではない他人の事情に巻き込まれることを示します。
実際の読み方
時運は窮屈で、意外の巻き添えを防ぎます。商業では、他人が利を得て自分が財を耗らすことがあります。家宅では外人の侵入、占有、牽累に注意します。戦いでは、出行して攻める側が利を得、守る側は損に注意します。病は外人から伝染することがあります。行人は帰れますが、家人に災いがある場合があります。婚嫁は遠方の人との縁がよいことがあります。失物は路人に拾われた可能性を見ます。
四爻
一言で読む
力があっても正を守って止まれば、無妄の誠を保てて咎はありません。
現代語訳
正しく守るべきです。咎はありません。つまり、力があっても正しい位置に止まり、正を守れば過ちはない、という字面です。九四は陽剛で乾体の中にあり、剛健で私がありません。その本質は無妄です。しかし上下の交わる所にあり、外の局面は複雑です。固守が定まらなければ、偶然に妄へ触れることもあります。
高島は、無妄の心は天心であり、生まれながら固有のもので、外から鋳造するものではないと説きます。乾の健やかさで無妄の体に乗るからこそ、乾の貞でその誠を保つ必要があります。能力がある時でも、さらに進めばよいとは限りません。正道を守り、局面を鎮めることが、そのまま無咎になります。
高島がある貴顕の気運を占って九四を得た時、四爻は尊位に近く、徳は乾剛を秉り、貴顕の身位に合うと読みました。その人は徳位ともに優れ、功業もすでに著しく、自分に妄念はない。ただし下の民に妄動や進みたがる心があるので、貴顕が堅貞をもって鎮めれば過ちはない、としました。九四は、上にある者が正で妄を鎮める爻です。
実際の読み方
時運は平順で、分に従えば得るものがあり、妄動すれば過ちがあります。商業では旧業を堅く守れば自然に亨ります。家宅は祖先からの基で、長く保つのがよい。戦いでは外卦の地に入っており、城池を堅く守り、妄りに進んではいけません。病は静かに養えば、来月には薬なしに癒えることがあります。行人はまだ帰らなくても外で大過なし。妊産は男を主に見ます。失物は必ずまた得られます。
五爻
一言で読む
自分が招いていない病や非難は、乱治せず中正を守れば自然に解けます。
現代語訳
無妄の病です。薬を用いてはいけません。喜びがあります。つまり、自分が招いていない病や非難は、乱治せず時を待てば喜びに変わる、という字面です。九五は剛中で位を得ており、無妄の至りです。ここで言う疾は災に近く、必ずしも自分で招いたものではありません。高島は、病には自分で作るものもあり、天時や偶然の触発で来るものもあると言います。自分で招いたのでない病は、無妄の疾です。日食、暴風、長雨、急雷のように、一時の陰陽の偏りは、時が過ぎれば自然に平らぎます。
人事では、無端の謗り、意外な牽累、外来の病などがこれに当たります。こちらが中正なら、急いで弁解しすぎず、乱治しすぎず、順に守ります。薬が合わなければ、無妄の疾を本当の病にしてしまいます。だから象伝は、無妄の薬は試すべきでないと言います。
高島には重要な占例が三つあります。ある貴顕の気運を占って九五を得た時、その人は徳高く望み厚いが、道が高いためにかえって謗りを招くと読み、争わず時を待てば自ずから解けるとしました。相手がこの占を用いなかったため、後に紛擾が深まり、翌年閑職となりました。弟の徳右衛門の大腸痞結では、医師が手術を勧めましたが、高島は九五から、病は自ら招いたものでない、安養して自然に任せれば三週間で癒えると読みました。手術せず、補薬のみで三週間後に癒えました。また海軍の気運占では、十月ごろ非常の驚異あり、人力で防ぎ難いと読み、後に扶桑艦沈没がありました。
実際の読み方
時運は正に当たり、意外な事を深く気にしすぎません。商業では物価が理由なく上下しても、過ぎれば平らぐので乱動しません。家宅は風雪で傷む恐れがあっても大害なく、かえって喜びがあります。戦いでは軍中の疫病を防ぎ、営屯を清潔にし、薬を乱用しません。行人は途中で意外があっても帰れます。訴訟は偶然巻き込まれても、弁じすぎず時を待てば解けます。妊産は男を主に見ます。失物は探さずとも得ることがあります。
上爻
一言で読む
無妄でも時位が尽きた後にさらに進めば、自分で過ちを作り利はありません。
現代語訳
無妄です。行けば過ちがあります。利するところはありません。つまり、無妄であっても時位が尽きた後にさらに進めば、自分で過ちを作り利はない、という字面です。上九は無妄卦の終わりで、陽が極まった位置にあります。すでに行くべき所まで行っています。そこからさらに行けば、自分では無妄だと思っても、時位に合わず眚が生まれます。正道にも止まる所があります。
高島は、象伝の正でなければ過ちがあるという言葉は主に上九を指すと見ます。上九は六三と応じ、三は邑人、上は行人です。六三の無妄の災は、上の行人が牛を連れて行くことから起こりました。六三は巻き込まれた災ですが、上九は自分が行き過ぎて眚を作ります。ここが大きな違いです。
高島が静岡県知事関口隆吉の当年の気運を占って上九を得た時、爻象は凶で、行路中に突然の禍変に遭い身体を大きく損なう恐れがあると直言しました。後に新聞で、阿部川付近の車の衝突により関口知事が重傷を負ったと報じられました。さらに警部長相原が生命を問うと、高島は泰の大畜、上六の城が堀へ崩れ戻る爻を得て、命は乱れて保ち難いと断じました。後に関口氏は亡くなりました。上九の行有眚は、出行、過度の推進、止まるべき時に止まらないことへ強く応じます。
実際の読み方
時運は好運が終わり、安守すべきで、動けば終わりに凶があります。商業では、貿易で利を得た後、年末や季節の変わり目には守り、さらに進んで損耗を招かないようにします。家宅は旧宅に住むのが吉で、移れば眚があります。戦いでは地歩がすでに極まり、さらに進んではいけません。病は老年の養生を重んじます。行人はその日に帰れますが、帰った後さらに出てはいけません。妊産は男を主に見ます。失物は窮追しても得にくいです。
天雷無妄:読みの覚え
天雷無妄は、私意や思い込みを混ぜずに動く卦です。素朴なら何でもよいのではなく、天理と正しさに外れないことが条件です。
起点に妄を混ぜない
無妄では、正しい起点から自然に動いているか、期待や欲で筋を曲げていないかを見ます。
善意に見えても、見返りを先取りする心が混じれば無妄ではありません。自分のせいでない災いと、自分が招いた過ちも分けて考えます。
立てておきたい問い
- この行動の中に、見返りを先取りする心はありませんか。 - 善意に見えても、正から外れている部分はありませんか。 - 今の災いは、自分の過ちですか、避けられない災ですか。
事実へ戻る
契約、治療、人間関係では、余計な策を減らして事実に戻ります。結果を無理に取りに行かず、本分を尽くす時、無妄の道は開きます。
あわせて読む
地雷復は誤りから戻る卦で、天雷無妄は最初から妄を混ぜない卦です。火沢睽と読むと、思い込みが相手の姿を歪めていないか確かめられます。
本卦の問い
この行動の中に、見返りを先取りする心はありませんか。
まだ得ていない結果を心の中で握っているなら、行動が曲がりやすくなります。無妄では、まず本分を尽くす所へ戻ります。
善意に見えても、正から外れている部分はありませんか。
善意でも、事実を曲げたり相手の境界を越えたりすれば正から外れます。無妄は、気持ちの良さより筋の正しさを見ます。
今の災いは、自分の過ちですか、避けられない災ですか。
自分の過ちならすぐ改めます。避けられない災なら、余計な罪悪感を足さず、正しい手順で受け止めます。
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